日本!(復活 蒸気機関車)
No.23 北陸線 2019年

平成最後となる03月10日の「SL北びわこ号」は、本来なら昨年07月に登場予定だったD51型蒸気機関車が初めて牽引した。

平成07(1995)年から昨年(平成30;2018年)まで23年間走った C56型に代り走行予定だった D51 は、昨年初夏の西日本豪雨の線路被害によって広島以西に取り残されてしまった。そのため2018年初夏以降は予定されていた D51ではなく、C57 が運転を受け持っていたのだ。

尚、03月10日から暫く運転が無く、次は新元号になってからの運転で、9月08から22日の毎日曜日。そして10月13日から11月10日までの毎日曜日の運転が予定されている。

上写真2枚;平成31(2019)年3月10日撮影。
慶雲館では01月10日から03月10日までの間、「長浜盆梅展」が開催されていた。期間中300本の盆梅の中から開花時期に応じて、常時90本を純和風の座敷に展示する。
なお会場となる慶雲館は明治天皇昭憲皇太后の行幸啓のために建てられた、迎賓館である。慶雲館の名前は、初代総理大臣の伊藤博文が命名されたという。

上写真の撮影時、思いがけないことが起きた。館内から 秀吉クンと三成クンの両ゆるキャラが登場し、線路端に立ったのだ。ゆるキャラ君も、小さく写真に美味しく収めさせて頂いた。

上写真;C57牽引の汽車が 豊国神社前道路のどんつきを、珍しく猛煙で通って行った。
豊国神社は御祭神が豊臣秀吉で、没後3周忌の慶長五年(1600)に遺徳を偲んで建てられた。秀吉は天正元年から天正四年(1573〜1576)の間、長浜城主であったのだ。関ケ原の合戦の頃に建立されたとは、時勢の流れへの反感と半官びいきもあったのかもしれない。徳川時代に秀吉を祀ることは禁じられていたから、恵比寿神社の奥社で密かに祀られていたという。まるで隠れキリシタンのような時代があったのだ。現在の「豊国神社」が復活したのは、秀吉300回忌の明治31(1898)年のことだという。
この辺りから黒壁前の大手門通りを経て大通寺前の御坊表参道辺りは、長浜でも観光客の多いところである。拙者も、この辺りの散策が大好きである。

三上山に棲む妖怪百足退治の舞台を走る。
上写真の上;水底に竜宮のある瀬田川を渡る。
上写真の下;妖怪ムカデの棲んでいた 三上山を背景に野洲川を渡る。

瀬田川、特に瀬田の唐橋の水底には琵琶湖を守る大蛇(竜)が棲むという。
ある時、この大蛇が唐橋に横たわっていたので人は怖れて橋を渡らなかったが、藤原藤太秀郷は怖れず大蛇を跨いで渡った。
渡り終えると翁が現れ、三上山のムカデが琵琶湖を荒らして民が困っているから、退治して欲しいと云う。ムカデは三上山を7周り半も巻き付いた巨大な怪物だ。しかし恐れず秀郷はムカデと戦い、これを退治した。
退治を頼んだ翁は、琵琶湖の底の竜宮の主であったのだ。退治のお礼に竜宮に招待された秀郷は、竜王から種々の贈り物を貰う。その中に中身の尽きることのない俵が有り、秀郷は 俵藤太秀郷と呼ばれるようになった。
琵琶湖の湖畔の民と山の民の勢力争いを比喩した昔話である。

上写真;送り込み回送。

上写真;梵鐘。 梵鐘は人の手によって作られながらも、ひとたび出来上がると人の世界から存在が離れてしまう、不思議な存在だ。梵鐘は異界、特に竜宮から来たという考えが有ったり、竜そのものであるとも思われる。何しろ梵鐘を吊るしている金具部分は 竜頭 と云って、その名前の通りに 竜の頭である。竜(龍)は龍神、水の神であるから梵鐘を雨乞いに用いたという記録も湖北には有る。すなわち梵鐘は異界との狭間に存在し、異界の扉を開けることができる呪具とも思われていたようだ。近江の昔話にも、竜と鐘にまつわる話が存在している。

上写真;機関車が力行するだけでなく、気温に湿気そして無風であることで、煙が長くたなびく美景を見ることができる。

上写真2枚;曳山(山車)の向こう側の踏切を、D51 が通った。春に開催されていた「長浜曳山交替式」が、令和元年(2019年)から秋に行われるようになった(10月12日 土曜日の予定が台風の影響で、11月03日 日曜日に変更になった)。すなわち春の「長浜曳山祭」と合わせて2回、曳山が長浜の街に繰り出すこととなったのだ。
交替曳山のうち、写真は鳳凰山である。午後01時の出立に向けて準備が午前中から行われていた。

上写真;琵琶湖周辺にはかつて、40あまりの内湖(湖の湖岸の陸側に存在する小さい湖沼の総称。特徴として水深が 1〜2 m と非常に浅い)が存在したという。しかし第二次大戦前頃から昭和40(1965)年頃までに、15の内湖が干拓された。写真に写っているのは観音寺山に発し、安土城下を流れる五反田川である。この川は安土川に合流し、現存の内湖である西の湖に流れ込んでいる。しかし干拓されて高低差が出来たため、小中之湖土地改良区排水機場で人工的に汲み揚げて、西の湖に流している。
Google Earth で標高をチェックすると、琵琶湖は84mで西の湖は87m、そして写真の辺りは81〜82mと、湖より低い土地である。

上写真;琵琶湖には小さい川も含めると、無数の河川が流入している。しかし直角に曲がっていたりして、明らかに土地改良事業で改造された河川が見うけられる。そうなると本来の川と云うよりも、農業用水路として活用されている状態である。
上写真は田村の近くの深町川の河口堰である。琵琶湖の水の逆水を防ぐための堰で、その背後を D51 がバック運転で回送されて行った。

上写真;(民家の柿ゆえ、許可を得て撮影)
11月10日の撮影。これをもって2019年度の運転が全て終了した。


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