日本!(近江の祭・火祭)
No.8 多賀大社 御田植祭(平成20年度)・抜穂祭(平成22年度)

撮影場所&日;滋賀県犬上郡多賀町 多賀大社、

御田植祭(平成20年度)、
抜穂祭(平成22年度)

撮影機材;Nikon D300+VR70-300mm、D80+VR18-200mm


多賀大社さんの御田植祭においては、まず午後1時から本殿で祭員さんはじめ早乙女さんらの本殿祭が執り行われる。その後にお社前で合流した朝日豊年太鼓踊りの一隊と行列を組んで、御神田へ向かう。御神田では太鼓踊りの奉納後、御神田神事として「御湯の式」として巫女さんによる湯立神楽が奉奏される。それからがお田植えとなる。豊年講員子女が田植女、踊女となり、歌女が田植え歌を歌うのに合わせて御神田に植えていく。田植えの最中に御神楽「弓の舞」、神楽「豊栄舞」が奉奏される。そして尾張万歳も舞台で奉納されるなど、内容豊かな御田植祭である。
古来、早乙女として初めて田に入ることは、女性として一種の成年戒であったともされる。男衆の見守る中で田植えをすることが、その女性のデビューでもあるし、田に生きる女としての能力が測られる厳しい試練でもあったようだ(動作が遅いと、田植えから取り残される)。その一方で、初めての早乙女となることは祝祭的な行為でもあって華やかな囃子の中で行われる例もある。例えば中国地方の花田植えなどは、その例である。
「御湯の式」の前に舞台で踊りが奉納されるような豊年太鼓踊りは近江地方には広く分布しているが、雨乞いというより現在伝承されている形は、雨が降ったことへの返礼踊りの太鼓踊りと云われている(※)。
雨乞い=太鼓踊りではなく、雨乞いには種々な方法や段階があったようである。ファーストステップで雨が降らなければ、セカンドステップへ進むというような雨乞い手法の段階は、行為の難解度を増していったようである。最後は梵鐘を水中や山中に埋めるというような荒っぽく思えることまで近江地方では行われた事例があるようである。

(※)【近江の太鼓踊り】市立長浜城博物館 編集発行

★一昨年、昨年の多賀大社 御田植祭の写真は、こちらです。御高覧下さい

上写真4枚;「御湯の式」



上写真6枚;御田植踊り、御田植


■ 抜穂祭 (平成22年9月26日)

平成22年6月6日に御田植祭で御神田に植えられた稲が実り、11月23日の新嘗祭にお供えされる新穀が抜穂女(ぬいぼめ)の手によって刈られた。午前10時半、報鼓の先導で宮司さんや斎員、抜穂司に抜穂女が御神田に到着された。降神の後に祭典、そして小〜高校生を中心とした抜穂女が19人、鎌を手にお供えする新穀を刈り取った。刈られた稲は抜穂司の手によってまとめ運ばれ、斎員によって御神前に運ばれた。
祭典後に昇神の儀を経て、斎員らは本社へ還御されて「抜穂祭」が終了となった。
黄金色に実った稲穂が美しかった。





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