日本!(近江の祭・火祭)
No.52 用水と田の儀礼 〜 高月町馬上の例

■ 滋賀県長浜市木之本町古橋、長浜市高月町馬上、 平成30(2018)年6月 撮影

湖北には目の前に琵琶湖という巨大な水瓶が有って田植えの水に困らないだろう、というのは現在の発想。水は当然ながら上から下へしか流れない時代、水瓶を利用する術も無かった時代が近代まで続いた。 となると湖北の田を潤す水は、川から取水するしか手が無い。室町時代末期の頃の記録が残っている。天文11(1542)年、浅井郡の浅井久政に高時川の下流域にある丁野の農民が井堰を井明神の更に上流に設けるように懇願した。小谷城の近隣にあたる農村部集落は浅井氏の権力基盤であり、ここの農業が奮わないと自らの基盤が脆弱となってしまう。農夫らが懇願する場所に井堰を設けるには、その場所を支配している井口弾正正家にわたりを付ける必要がある。しかし快いわけがない。井口弾正は「綾千駄、餅千駄、綿千駄を片目の牛と片目の馬に乗せて欲しい」と条件を出した。浅井氏の面目を潰さず無理難題で断ったはずが、中野村の長者が条件の品を用意したことで、条件がクリアーされた。それでけでなく、伊香郡を支配していた井口弾正の娘を浅井家がもらうことで、姻戚関係で主従の固さだけでなく、井口氏を重用するということで、水の取水を井口氏が自分の支配地から下流の浅井家支配地に優先的に流して良い、という約束が出来上がったのだ。下流域の浅井郡の集落のお百姓のために、伊香郡の自分たちの川の水がいわば横取りされるのが、快かったはずもない。そこで浅井氏は井口氏の領民に、渇水時には条件を設けて浅井氏へ流れている水を自分の方に流して良いことにした。浅井氏領土への井堰を切り落とすのである。特に高時川の最上流にある井堰を「餅ノ井」といい、ここを切り落とす事を「餅ノ井落とし」と云った。下流域の田の取水口を他の領土より上流に設けることを、「懸越し」と云った。この「懸越し」の水路、すなわち「餅ノ井水路」による受益村は、馬上、丁野、別所、中野、二俣、下山田、山脇、留目、河毛、伊部、郡上であった。

今回、見て来たのは、馬上(高月町馬上)への井堰のあった場所に立つ「馬上井堰碑」と、「餅ノ井跡碑」である。現在の木之本町古橋に位置している。下流の馬上への取水口(井堰)が、なかり上流に有ったのだ。ここから馬上への水道(みずみち)は、今では痕跡も残っていない。どうやら馬上というのはかなり優遇されていたようである。むろん、現在は昭和42(1967)年に建設された国営の合同井堰によって、公平に各集落に水が分配されている。

さて、馬上の走落神社では、「野休み」という祭典が行われた。祭典後には、湯の花(湯立神楽)も舞われた。採り物(鈴、湯笹)の舞で祓った後に湯立という、正攻法の舞に感動した。「野休み」とは名のとおり、田植えの完了を感謝する祭典であろう。馬上では、なみなみと水をたたえた美田が広がっていた。

美田を見て、湯立神楽とは そうなのか、と意味が分かった気がした。湯立神楽については 拙HPの【日本!(お神楽・田楽)〜 No.39 湯立神楽】において、その意味を列記した。しかし肝心な事が抜けていた。稲作国家において湯立神楽で清めの水を振り撒けるという所作は、降雨を意味しているのだ。風雨順調で田の水が枯れないように願う予祝舞が、湯立神楽なのだ。※「餅の井」の「餅」は、井口弾正との交渉において、餅千駄 という寄進物の餅からきたという説もある。あるいは稲作の象徴としての餅、オコナイにおいても穀霊の象徴であるが、からきたのかもしれない。※ 「井」 を「ゆ」と読む。井堰なら「ゆぜき」。思い立ち、復路の途中で 「高月観音の里 歴史民俗資料館」に寄って「井(ゆ)」の読み方の謂れや分布を訊ねた。しかし、不明とのことであった。

上写真左;「餅の井」跡の石碑。

上写真右;「馬上井堰」跡の石碑

上写真;矢印左側が「餅の井」跡の石碑。右側が「馬上井堰」跡の石碑。両者の位置関係。

上写真左;井明神。水および井の守護神の祠である。
上写真右;明神橋にある、鐘のオブジェ。「餅の井落とし」の時、合図に激しく鳴らされたという。

上写真;美田広がる馬上。

上写真;高時川河畔にある、野神様の祭場。鳥居とそびえ立つ御幣の間に祭場のように注連縄と紙垂で結界された空間がある。御幣は「野休み」前の深夜午前零時に、人目に触れないように立てられに来るという。

上写真は、野神様の塚における 竹で作られた鳥居の一部と御幣。額束の処、勧請縄で云うならトリクグラズの処に、「の」(野)と読める藁が付いている。野神様の「の」とは、、、なんて単純なことだったんだ、と思った。「の」の形は 蛇 の姿ではないか。 野において蛇は田畑を荒らすネズミを捕食する ありがたい存在であると同時に、龍神(水神)に展開する存在である。「野神様」は 山の神さまが循環するというだけでなく、田の神様の性質は蛇や龍神だということ。そのように気が付いた。

上写真;馬上の集落内を流れる美水。現在は余呉湖や琵琶湖からの揚水も、湖北を潤している。

上写真3枚;馬上の産土神社である走落神社における、「野休み」の祭典。拝殿内での祭典後、境内で湯立神楽が奉納される。


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