日本!(近江の祭・火祭)
No.33 菅浦祭

■撮影場所&日;滋賀県長浜市西浅井町菅浦、平成23(2011)年4月3日

通称「スガの祭り(菅浦の春の祭礼)」へ行ってきた。ここの菅浦の祭りでは、御神輿の外に 「幣祭り」という御幣振り の変わった儀礼があり、そちらに興味を持って訪れた。
宵宮で御神輿に神霊を憑かせ、本日では集落内の御神輿渡御、幣まつり、そして神霊の還座と続く。
まつりは神職が須賀神社・小林神社(八王子社)・赤崎神社の三基の御神輿を前の修祓から始まる。御神輿の前には広い馬場があり、御神輿から約50m離れた場所に東西の御供所があって、その中に若衆が控えている。東西から一斉に飛び出して御神輿堂に飛び込み、争って御神輿を担ぎ出す。一番最初に出た御神輿だけが、集落の東端の四足門まで渡御する。今年は赤崎神社の御神輿がそうであった。
御旅所から須賀神社へ戻ると、御神饌の供饌に玉串奉奠や巫女舞の奏上がある。そして撤饌。
それから「幣祭り」である。「幣祭り」は「幣走り(御幣)」とも呼ばれるが、御神輿の前で氏子から選ばれた三人が神主となって、長さ3mほどの御幣を振るのである。神霊の憑いた御神輿を御旅所に渡御し、その間も御幣(幣走り)は随伴する。その御幣を振ることは、祈願儀礼であろう。見ていると、御幣を壊れないように振りながら地面を擦り、砂埃を上げている。天・中・地を祓い清めていく儀礼なのであろう。そして幣振りの後は、幣を倒す。ひとたび祓いの済んだ御幣を遺棄することを意味するのだろう。そして御神輿は須賀神社の二の鳥居まで駆け上がる。ご神霊は神職さんに守られて、本殿に還座される。
御幣を振る儀礼は オコナイ でも見られる事例があるが、神霊を招ぎ降ろす役目とか祓いとか、パターンによって色々だと思う。

菅浦という地は、鎌倉時代から明治までに記された「菅浦文書」というものが伝わっているが、中世の「惣村」の形態を守り抜いた集落という。
菅浦の地には、興味深い遺品が多い。
まず須賀神社参道の二之鳥居が、安芸の宮島・厳島神社の海中鳥居と同型の両部鳥居であること。厳島神社の両部鳥居の稚児柱が波に抵抗するため、という形態説を、この須賀神社の山中における両部鳥居は否定している。
集落の東西には、かつて村の出入りを有事に検察したという四足門が残ること。私的には須賀神社に明治に合祀されるまで保良神社として祀られていた御祭神の淳仁天皇との関連から、この怨霊である淳仁天皇を祀りあげることで惣村の独自性と対外的な畏れを抱かせることを目的とし、その神霊を集落内に封じ込める呪術的装置と四足門を考えている。
また、集落内長福寺跡地には、独特な水輪を持つ五輪塔が存在している。形態的特長から、南北朝期の造搭と想像している。

上写真3枚;東西の御供所から神輿堂へ飛び込み、神輿を担ぎ出す。

上写真2枚;東の四足門の近くの御旅所での祭典。

上写真;集落内では子供に、ちまきの振る舞いがある。

上写真;御神輿の還御後の祭典。

上写真3枚;御供所広場で、幣祭り。「天下泰平 五穀成就 万民快楽」と唱えて振る。

上写真2枚;幣祭り後、神輿は二の鳥居まで登る。両部鳥居が見事だ。この先、本堂へは宮司さんが神送りをされる。


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