■ 馬杉のハナバイ
撮影場所&日;滋賀県甲賀市甲南町上馬杉、下馬杉、 平成22(2010)年7月24日
滋賀県の甲賀地域には、祇園花行事と称される祭りが夏にある。祇園祭については古和浦の祇園祭りのキャプションでも書いたように、牛頭天王を祀る疫神封じの防疫祭りである。ここでは、その疫神を造花に憑かせてその憑霊した造花のハナガサ(花傘)壊すことで封じ込めることを狙った。古和浦のように、海に流せる場所ではないから、陸地の何処かで封ぜざるえない。境内の隅でハナガサは壊されていたが、氏子がその花を奪って持ち帰ると厄除けの護符になるという。悪役転じて、ボディーガードっていった処か。
撮影してきたのは、甲賀市甲南町上馬杉と下馬杉が油日神社へ踊り込む祇園花行事、通称ハナバイである。午後1時半頃に下馬杉の宿から傘鉾を先頭に踊子や宮守さんらが集落外れまで、道行きする。その後、油日神社の近くまで移動し、そこで待機している上馬杉の一行と合流、神主さんによって修祓が斎行される。そして油日神社へ、下馬杉と上馬杉が傘鉾、踊子、ハナガサなどの行列で宮入りする。宮入り後には、踊りの奉納と同時進行で、氏子らが花を奪い合うハナバイ(花奪い)が行われる。滋賀県は太鼓踊りという民俗芸能が盛んな土地であった。滋賀県の太鼓踊りの伝承地は200を越えるとも云われ、旧伊香・東浅井・坂田郡で全体の六割を占めるというが、それらの土地で実際に現在も踊られている土地は少ないようである。甲賀では滋賀県の太鼓踊りの一割でしかないが、その半数以上で現在も踊られているという。この馬杉の祇園花行事では、その太鼓踊りも同時に踊られるという特徴がある。花鉾に少年の太鼓踊り、構成は鼓が一名で、太鼓が六名(全数揃うのは困難)である。踊り自体は、横跳びするような単純な踊りだが、炎暑の中で重い桶太鼓を首から吊るして花笠を被って踊るのは、小学生には試練であろう。しかしこの村で生まれた少年にとっては、参加義務の通過儀礼なのである。甲賀市土山町前野の瀧樹神社のケンケト踊りでもハナバイと太鼓踊りがあるし、源流の京の やすらい花 との関連も考えられるが、逆に やすらい花 自体 が、夏の行事であっても不思議でないように思えてきてしまう。
上写真;ハナバイ(花奪い)。氏子がハナガサを貰い受ける。激しく乱闘で奪い合う場所もある。
■ どじょう
撮影場所&日;滋賀県甲賀市甲南町下馬杉、平成22(2010)年 3月28日
近江の祭礼では、各種の淡水魚をお供えする祭礼があるが、生きた鰌(どじょう)を御神饌としてお供えするのは、数少ないであろう。奉拝・撮影してきた祭典は滋賀県甲賀市甲南町下馬杉の嶋(島)神社、春の例祭である。祭典自体は神道の式次第に準ずるが、上記したように御神饌に特徴がある。今日は、その御神饌を拝し撮影したく、行ってきた。添付写真は、主だった特色ある御神饌が撤下された直後に三宝に乗っている状態で撮影させて頂いた。左下添付写真の右側から鰌、山椒。左の三宝に味噌、ニラ、ニンニクである。地元の人から、御祭神が女性だから精が付く様に、と冗談で言われたが、実際に匂いが強い食品が御神饌に並んでいるのが驚きである。(ちなみに御祭神は市杵嶋姫命である)なぜこれらの御神饌なのか? は地元でも不明とのことである。鰌も栗東市大橋の三輪神社「鰌取り神事」でのように、なれ鮨になって供される場合は撮影したことがあるが、生きたままは初見である。三輪神社では鮨になっているから撤下後には直会で食べるが、ここでは直会で食べることはない。昔は貴重なタンパク源であったこともあろうが、これから稲が植えられる田に住まう鰌が、山ノ神から田ノ神の時期へのターニングポイントの象徴となっているのかもしれない。御祭神は水の神様の神格であるが、その神様に身近な淡水魚の鰌を奉げたのかもしれない。いづれも推測しか出来ないが。
馬杉の皆様、どうもありがとうございました。
関連HP 三輪神社「鰌取り神事」
上左写真;御神饌、
上右写真;祭典でドジョウが献じられている。