■ 蒲生岡本
撮影場所&日;滋賀県東近江市蒲生岡本 梵釈寺、平成22(2010)年1月4日
蒲生岡本では宿を午前5時半に集落民 約40人が四本の松明を持って、祭場の梵釈寺までおよそ700mを進んで行く。掛声は同様に、「起きやった起きやった、山ノ神さまが起きやったでー」である。祭場には竹で組んだ祭壇が設けられており、そこにオッタイ(男体)とメッタイ(女体)の御神体を安置する。祭壇は御神木の前に設置されている。この御神木は幹周り3.2m、樹高23mで、樹齢650年という。やがて背後の山ノ斜面で焚き火がされると、木に結ばれた切断された状態の注連縄を揺さぶりながら、例えば「大根もエンヤラサー! トマトもエンヤラサー!」と、野菜や果物の名前を挙げて豊穣を祈願していく。当日に注連縄を切るのではなく、既に切断されてるのが興味深い。切断する儀式の目的の注連縄ではなく、揺すりながら祈願するのが目的だからだそうだ。オッタイとメッタイの股木は素朴に切り出し状態だが(男性のシンボルはきちんと付いている)、祭壇は組んである竹の数も決まりがあるという、詳細さである。この祭壇、まるで安倍晴明が祈祷をしたような壇(不動利益縁起絵巻より;東京国立博物館)で、神秘的である。なお、野ノ神さまの祭壇も、同様に素晴らしかった。
※蒲生岡本の皆様、どうもありがとうございました。
■ 成谷・小脇
撮影場所&日;滋賀県栗東市荒張 成谷・小脇、平成22(2010)年1月11日
成谷と小脇二つの集落が合同でされる山ノ神まつり で、オッタイ(男体御神体)を成谷が奉持し、メッタイ(女体御神体)は小脇が奉持し、各 宿(当番)宅から出発する。山ノ神をお祀りする山は小脇集落に近いので、先発した成谷集落の行列が途中から小脇集落に入って合流する。行列は長さ36Cm(二尺三寸)の小竹で作った矢を道すがら地面に刺して進んでいく。祭場は小脇集落の側にオッタイとメッタイの模擬性交儀礼を行う場があり、それより一段高い場所に成谷の祭場がある。ご神饌などが整うと、両集落の人々が両手に持った矢を東方面の谷に向けて、「オッタイ、メッタイ、わーい。シシヤウサギや、わーい!」と唱えて投げる。山ノ神を呼び覚まし、獣追いの儀式が済むと、両集落の祭場に注連縄が張り渡される。それが済むと、模擬性交儀礼である。9年前まで松の木で御神体を作っていたそうだが、今では石で作られた御神体に変わっている。陰陽五行では、石と樹では原素違うのだけど、、、伝承することが大切であろうし。それはともかく、その男女の合体した御神体に、米汁を白く溶いた液を掛けて「今年は濃いの〜」と唱える。かなり性的な表現に思える。それから「お姫さんの長刀」と唱えて鎌で注連縄を切り落とすことで山ノ神を野に降ろして、行事が終わる。
以上、行事の概略を書いたが、かなり呪術的な要素が多く興味深い山ノ神まつり であった。
まず祭列が地面に矢を刺して行く点。祓えと同時に、山ノ神が野に降る目印しであろう。矢を両集落構成員が投げる獣追い。害疫の封じで、その後の模擬性交儀礼。米汁、あるいは超薄いシトギは、体液のみならず米の豊穣の祈願であろう。注連縄の切断の唱え言葉は、山ノ神が女性と考えられているのかもしれない。そして何よりも二つの集落で合同で山ノ神まつり を行うのは、二つの集落の相克と共生の歴史があるように思える。お互いの集落がそれぞれの御神体を奉持することで、山稼ぎや水利権など争うことなく、山野の豊穣という同一の目的に協力体制で臨むということである。宿では、文久四年に書かれた記録簿なども拝見させて頂いた。歴史的にも長く続いている行事である。
※成谷、小脇の皆様、どうもありがとうございました。
上左右写真;古記録。江戸末期の元号が読める。
上写真;成谷集落の人々が矢を投げ、獣追いの儀式をしている。写真では分かりにくいが、右下方では小脇の人々も同様に獣追いをされている。
上左写真;模擬性交儀礼。オッタイ(男)とメッタイ(女)に、白い米汁をかける。
上右写真;直会