■ 滋賀県甲賀市上朝宮 仙禅寺、令和2(2020)年03月 撮影
現在、岩谷観音さんと呼ばれる岩谷仙禅寺が、茶畑を入り込んだ谷間に安座している。
仙禅寺は養老7(723)年頃に行基(688〜749年)によって開創され、山城鷲峰山金胎寺別院として、当時は僧坊五宇を有して栄えた。しかし暦応年間(1338〜1341年)と文明年間(1469〜1486)に兵火にあい、焼失した。その後に岩上に小堂を構えて十一面観音仏を安置して観音堂とした。
そこで行われる「オコナイ」にお邪魔して、撮影させて頂いた。上朝宮は宇治、川根、本山、狭山と並び日本五大銘茶の産地と云われている。実際、訪問して周りの景色を眺めてもGoogleEarth でチェックしても、一面の茶畑であった。
にも拘らずオコナイでの奉納にお茶が無かったことは、興味深い。オコナイは仏教悔過の儀式として修正会・修ニ会がルーツと思われ、すなわちそれらの行(おこない)を行うことに重儀を見出すことができる。仏教説話集には、それらの行において「おこないの御餅」を導師が貰っていた記録が載っているようだ。つまり山海の珍味をお供える事ではなく、仏教行事としては御餅の御供えことが大切であったと思われるのだ。ゆえにその約束事を大切に守り、地元の名産でありながらお茶のお供えが無いのは納得できることである。
オコナイにおいては前日に平餅、餅花、御供山(もっそう)などが調整され、本日(ほんび)の午前中にお供えされる。行は僧侶の読経が本堂内と山城鷲峰山金胎寺に遥拝するために境内の、計2ヶ所で行われる。
(上朝宮の皆様に感謝致します。)
上写真3枚;観音堂の床下に磨崖仏(本尊は薬師様と云われるが、地蔵様に見える)が安座し、懸造り(崖造り)の観音堂がかぶさって建っている。観音堂の背後にまわって見ると磨崖仏のある岩は、巨石であることが判る。そこで疑問。磨崖仏の安座する上にお堂を建て、磨崖仏の上を歩くとうことがどうか という疑問である。磨崖仏には判読できなかったが、鎌倉時代である建長元年(1249)年の銘が刻まれているという。風化具合からみて、現在の様に覆い屋ではなく露天に晒されていたことは明かである。つまり建長元年から、戦火で仙禅寺が焼失後にこの場所に観音堂が建てられるまでは、露天に有ったのであろう。磨崖仏への直接の信仰が薄れ、その上に観音堂を建てて、磨崖仏の上を歩いても参詣できる観音様を祀ったということだろう。あくまで私見だが。
上写真3枚;餅花などで飾られた本堂、遥拝所そして、御供など。