@島根県松江市八雲町東岩坂 にて 平成25(2013)年1月12〜14日撮影。
星上山に鎮座する曹洞宗(元は天台宗)の星上寺、経津主命・武甕槌命・星神香々背男命を御祭神とする那富乃夜神社に御鏡餅を奉納する「大餅さん」が行われた。
星上山(標高458m)には星の神様が降臨されたという伝説がある。聖武天皇の御世、漁師が暴風雨にあって遭難しかけたときに助けを観音様に祈った。すると星の光が山の方の一点を照らしたので、その方角に漕いでいって助かったという。漁師は不思議に思って翌日に山中を探したら、山中に池があって水面に観音様の姿が映って岩の上に観音様が現れたという。漁師は観音様の仏徳により助かったということで、仮堂をしつらえてお祀りしたという。それが現在の星上寺縁起の起源である。その星上寺より更に150mくらい奥に那富乃夜神社があって、天神様と呼ばれている。ただ、菅原道真公が御祭神ではない。先の星上寺縁起の話から、仏徳は導きの御利益が考えられる。そして那富乃夜神社の御祭神の一柱である星神香々背男命は星の神様である。享保2(1717)年の『雲陽誌』には「妙見・八幡を同社に祭る」の記載があるそうで、星神香々背男命は妙見の垂迹と考えられる。ゆえに俗称の「天神」や社号の星上は、天の神様・星の神様と考えて良いだろう。星辰信仰や北辰信仰などの地なのであろう。
しかし山間の集落が、なぜ漁師を助けた話を伝えるか疑問である。神威・仏威の伝承であっても地元に御利益あった逸話ではないから不思議だ。考えられるのは、地元のご利益とは別に(元)天台宗の宗教的一大修練の山であったことに由来していようか。行者や修験者・山伏らが修行する宗教の土地であり、そこで修正会・修二会の行い行事として御餅の奉納が行われていた。しかし後世になって修行の山としての性格が薄れていく中で、御餅の奉納行事だけが集落民に伝わって伝承されてきたと考えても良いかもしれない。
オコナイは湖北がその数においても密度が濃いのだが、今回の東岩坂のように3日間に渡って行われる行事には、簡略化されていく中でも大切に引き継がれていく核心を認めることができた。
※東岩坂の皆様にはお世話になり、感謝申し上げます。
上写真4枚;初日には「祝い歌」を謡ながら棒搗きにより御餅が搗かれる。
2日目、硬くなった御餅を餅がらみとして飾り付ける。御餅には御幣を立て、固定を兼ねた注連縄が巻かれる。
上写真2枚;3日目の早朝、集会所を出発すると町内の各家を巡行していく。新年に再生した祖霊(歳徳神)が御鏡餅の姿となって多幸を授けに集落を周り、各家では篤い接待でもてなす。
上写真5枚; 集落内を2時間も巡行したら、いよいよ星上寺・那富乃夜神社への奉納の山登りである。距離にして約2Kmだが、およそ1時間半をかけて登る。けっこうな山道で、息が切れ汗だくになり膝にくる、久々に厳しい撮影だった。
上写真2枚;境内でひとしきり練った後、堂内に駆け込む。そして奉納された後には、僧侶により大般若経転読が行われる。
上写真2枚;星上山から下げられた御鏡餅は開かれて集落民に配られる。その間に依代が竹と藁で組み上げられる。大餅さんが腰かける椅子(依代)だという。来年の大餅行事までこの椅子は、このまま集落民を見守る。