撮影場所&日;滋賀県東浅井郡湖北町延勝寺、平成20(2008)年2月11日
撮影機材;Nikon D300+VR18-200mm、D80+SIGMA10-20mm
◎許可を得て撮影。
「延勝寺のオコナイ」では本日(ほんび)の午前中に、当(頭)屋となる公民館で御鏡餅の餅搗や注連縄の「エビ」作りなどが行われ、飯開神社への社参は午後1時40分からであった。先頭を頭屋(この場合は責任者を指す)さんが御神酒錫を持ち、続いて餅花、大エビ、小エビ、法螺貝など氏子さんが続いて、最後の方で笛が囃しながら社参する。延勝寺のオコナイは2年前に改革されたという。以前のオコナイでは皆さんが紋付袴であるが、現在は洋式正装でOKとなっている。服装だけでなく、大エビも東・西・中地区の三箇所で各一つづつ作っていたのが、今では一つとなっている。それ以外にも2日間で行っていたのが一日になったとか、大小様々な変更がなされたそうである。年配の人からは、現在のオコナイは酒を飲む機会が少なくなり残念と聞くが、若者からは民家で行っていたのが公民館で一日で済ませられて楽になったという意見も聞く。オコナイの変更の陰には、社会情勢の変化というだけでなく、何処でも神事というより地域の農耕を主体としたコミュニティーの存続の深刻な声を聞く。集落を構成している人々の減少は、伝統ある神事の形や内容にも変化をもたらしている。
延勝寺のオコナイの最大の特徴は、高さ2m、幅1.5m、重さ30Kgにもなる巨大な「エビ」と呼ばれる注連縄飾りの存在である。
「エビ」の下には桶に御鏡餅が入っており、総重量は60〜80Kgにもなるのを、縄に棒を通して籠を担ぐ要領で前後で担いで飯開神社まで社参する。
「エビ」は、確かに海老の格好をしているが、何故「エビ」とこの注連縄飾りを呼ぶのか不明である。現地でも、昔からそう呼んでいたというだけで、記録は残っていない。海老の形だから「エビ」なら要は簡単だが、志賀谷のオコナイ(HPにUP済)の「エビ」は海老の格好をしていないから形態表現ではないだろう。勝手な想像の私説になるが、「エビ」は「ヘビ」の読みが転訛したのではないかと思う。ヘビなら農耕に欠かせない水の水神・龍神に繋がる。なれど、ヘビを龍神まで発展させないでも、蛇のままで十分に「オコナイ」に取り込まれた可能性は想像できる。拙Blog【越天楽】の 平成20年1月3&22日に『鎌倉のやぐら(6)&(7)』として、やぐら(中世横穴式墳墓堂)に後世に納められた白蛇を御神体とした宇賀神についてUPしている。宇賀神は宇迦之御魂命の仏教版神様であって、稲荷明神の本地とされている。宇賀神信仰が盛んとなった室町末期から江戸初期にかけては、現世利益の信仰として多くの人によって祀られたようである。このような蛇(白蛇)を御神体とした宇賀神信仰が、農耕儀礼を通じてオコナイにヘビ(エビ)として入り込んできたことは有り得るのではないだろうか。オコナイは鏡餅を搗き夜を徹して奉仕して神仏に供することを中心に展開しており、お鏡餅こそオコナイの核心である、との説明もある(※)。御鏡餅を供える祭は多くあっても、御鏡餅自体が中心になっていることこそ、オコナイの特色であるというのである。その御鏡餅の上に、御鏡餅の元の穀霊の宿った藁で蛇の形を作り置くことは、それ自体に霊力がパワーアップすることを祈願した姿ではないかと思うのである。
延勝寺の「エビ」は迫力あるが、優雅な姿でもある。このエビ、稲刈りを器械で行うと長い稲穂が得られないので、わざわざオコナイ用に手作業で刈り取りしているという。
《参考文献》
(※)中澤成晃著【近江の宮座とオコナイ】岩田書院
上左写真;頭屋と神社において、謡『高砂』が謡われる。
上右写真;神社における盃ノ儀。
◎延勝寺の皆様に御礼申し上げます。