撮影場所&日;滋賀県米原市志賀谷、平成20(2008)年2月10日
撮影機材;Nikon D300+VR18-200mm、D80+SIGMA10-20mm
現地情報;「御盃の儀」は公民館の当屋にて。撮影は要許可。撮影も正装が望ましい。
前日に御鏡搗きやオンベ(御幣)作りが午前中と昼間に終わって、既にUP済の「神の膳」の調理と献饌は昨夜のうちに終了している。翌日は朝8時頃から志賀神社末社へ小御鏡餅の献鏡が行われ、そして子供による御華(まい玉)の区内巡行と続く。御華は餅花であるが、一部の場所では「マユ玉」と呼んで養蚕の予祝と考えるふしもあるが、ここでは「米玉」であって稲作の予祝の餅花である。かつては長さ5mにも及ぶ枝を利用したらしいが、現在は2mほどの枝であるが、それでも立派なものである。そして午前9時半頃から志賀神社の宮司さん、そして一年神主の禰宜さんを迎えて当屋で「御盃の儀」が行われる。盃二献の後、祝祭的な神能である能『高砂』の仕舞が舞われる。「御盃の儀」は清めとも云えるが、実質は連帯意識で神々や祖霊への感謝と奉仕の意識の高揚の場であろう。
神社への社参は、大編成である。先頭から、太鼓幣・御玉串・御神書・御剣・神職・禰宜・オンベ(御幣)・氏子総代・御神酒・本社御鏡・御鏡付・社参人と続く。
神社での祭典の終盤、『志賀谷のオコナイ』の特徴的な儀礼が斎行される。それは禰宜さんが御神体を表現したとされるオンベ(御幣をここではオンベと呼ぶ)を振って、頭人に「大願成就おめでとう。」と述べるのだ。これは祖霊がオコナイの場で祝福を述べるという諸願成就の予祝である。ここのオンベ(御幣)は、脳味噌・頭髪・頭部・胴・両手に脚部も表現されており、脳味噌は洗米でできているという姿である。オンベ(御幣)はオコナイの場に祖霊を招き降ろす依代であるが、洗米を脳味噌とすることで核心となってくる。洗米それに御鏡餅もだが、それらは御神饌というのではなく、それ自体が神であり穀霊であり、祖霊であるのだ。一般的な御幣は雷雨の時の稲妻の形だと云われることがある。稲妻は字の如く、「稲の妻」であって、穀霊である。それが志賀谷においてはオンベ(御幣)という形で穀霊として、そして祖霊として降臨して姿を顕現するのだ。祖霊は穀霊と同一視される事があるのだ。
このように二日間のオコナイ行事を拝見させて頂くと、その儀礼様式の厳格さと崇高さをつくづくと知ることができた。
なお、「志賀谷のオコナイ 其の一」を合わせてご参照下さい。
上左右写真;早朝、志賀神社末社へ献鏡する。
上写真;御華(まい玉)担ぎ。子供らが担いで区内を周ってから、神社に奉納する。
上左右写真;「御盃の儀」。左写真は、仕舞『高砂』。右写真は「盃二献」。
上左右写真;「御盃の儀」。白酒と清酒で盃二献
上左右写真;当屋を献鏡の社参行列が出発する。
上左右写真;神社での祭典。禰宜さんによる「オンベ(御幣)振り」(上記キャプション参照)。
上左;末社に献じられた小御鏡餅。上右写真;御華(餅花)。