能楽日記
(番外)

私が能の謡・仕舞を習った流派が宝生流(水道橋宝生)のため、同流派を主に観能していたが、名古屋では番組が少ないので『コンサート日記』に記録を同居させていた。
ただ他流派まで観能すると、独立させて記録したくなり、2003年3月以降の日記はこちらに記すことにしました。【2003年3月新設コンテンツ】


■平成18(2006)年3月11日    名古屋能楽堂定例公演

能【百萬】(喜多流)

シテ;長田驍、子方;園田光樹、ワキ;飯富雅介、アイ;佐藤融、笛;大野誠、小鼓;福井良治、大鼓;河村総一郎、太鼓;鬼頭義命、後見;長田郷、森田健、地謡;小出甚吉、松井俊介、森田克彦、伊藤英毅、和谷衡市、梅津忠弘、大島雅允、大島輝久■子を捜し求めて狂気の状態、すなわち「物狂い」となった女の能に【隅田川】があるが、その番組は何回も拝見する機会があったのに、【百萬】は今回が初めての拝見でした。【隅田川】が、探していた子供との再会の姿が墳墓という悲劇で、そこへ至るまでのストーリー性が重きをなしているのに対して、【百萬】はハッピーエンドであり、むしろ舞そのものに重きがあるという曲のようでした。でありながらシテは舞が連続する中で、子供と再会するまでの苦渋の激情を表現しなくてはならないと、拝見していて思いました。この曲を私は謡でも稽古したことがないので、謡本を持ってないので違うかもしれませんが、シテ「我が子に遭わせたびたまえ」子方「いかに申し候・・・物狂いは母に似て候」までのシテの謡の声には、苦しみに満ちた心情が篭められていたと思います。喜多流には「舞入」といいまして『中之舞』が挿入されています。百萬は女舞人で、舞いの名手です。長田師の『中之舞』までは、我が子への思いに冷静さを欠いていたように見えましたが、『中之舞』では舞の名手として私情を排した冷静な舞い姿が戻っているように見えました。百萬が舞の名手として平常な状態で日常的に舞っていたであろう姿の再現という意味で、喜多流において『中之舞』が挿入されることは子を見失った悲劇の増幅を演出しているでしょう。また、そのように思えた舞でした。そして謡「南無釈迦無二仏」から再び苦渋と焦りに満ちた舞へと変化する長田師の所作の切り替えと謡の変化も見事でした。この番組は舞が連続しており、今回の長田師の美しく均整のとれた舞姿には時間がたつのを忘れて浸っていたいと思うほどでした。素晴らしい演能でした。


■2005年5月21日   名古屋観世九皐会五月公演

能楽【熊野】

シテ;中所宣夫、ツレ;坂真太郎、ワキ;飯富雅介、ワキツレ;杉江元、後見;長沼範夫、観世喜之、地謡;外山圭一、小島英明、高橋瞭一、奥川恒治、中森貫太、小林喜久、五木田三郎、観世喜正、大鼓;河村総一郎、小鼓;後藤孝一郎、笛;鹿取希世■平家の権勢全盛の頃、平宗盛の妾熊野の元に母が病気であると朝顔が書簡を持って来る。見舞いを宗盛に申し出るが、許されない。沈み込む熊野を慰めようと、宗盛は清水へ花見を企画する。桜の下で舞い歌を詠み、心境を綴る、、、やがて許されて帰郷の途につく。

舞台の上は観念的に次々と情景が変わっていく。朝顔が到着する時は玄関先、一転して館内部。「道行き」では京の往来、そして桜の清水、、、時としては熊野の故郷の遠江。
権力と富が自由になる平家の頂点にいながらも、熊野にはそれらでは満たされない母への思いがある。地位や名誉よりも、苦悩と愛がテーマである。権力者側の宗盛が、熊野の母への思いを物見遊山で紛らわせようとするのは、やはり人の心さえ我意のままにならないものはない、とする平家の驕りであろう。道行きの車の中で「そでをつらねて行く末の」で、熊野は宗盛に背を向けるが、気持ちが宗盛から離れていく表現であろう。そして「げにおそろしや」は、母の重病を知りながら花見に行く我が身のことか、心を理解しない宗盛のことか。宗盛に「ひとさし舞候らえ」で、シオリ橋掛かりへ、、、辛い熊野の心情が憐れである。おいっ!宗盛っ!熊野が可哀想だろ、って声を上げたくなる。が結局、宗盛は熊野を憐れと思い帰郷を許し、良かったネ熊野ちゃん、お母さんを大事にしてね、って励ましてあげたくなる。この展開、結局は宗盛が熊野の心情を汲むことが出来ない鈍感だったが故に、我々は熊野の舞も見えたということか(苦笑)。前場後場も無く、不動のツレも辛いでしょうね。


■2005年3月12日 名古屋能楽堂定例公演

能楽【藤戸】(金剛流)

シテ;豊嶋三千春、ワキ;高安勝久、ワキツレ;椙元正樹、アイ;松田高義、後見;豊嶋訓三、豊嶋幸洋、地謡;百々康治、山口尚志、都丸勇、竹市幸司、谷口雅彦、田中敏文、豊嶋晃嗣、中嶋謙昌、笛;鹿取希世、小鼓;柳原冨司忠、大鼓;河村総一郎、太鼓;鬼頭義命■(物語)藤戸合戦に平氏に勝った源氏方の武将佐々木盛綱は、恩賞として賜った地に着任した。そこで民に、訴訟のあるものは申し出よ、と伝えると老婆が、戦術上の都合で盛綱に息子を殺された、と訴え出た。盛綱は老婆(母)にその時の様子を語り、回向をしていると、若者の亡霊が出てきて氷の如く刃で刺し殺されて海深く沈められた様を舞い、成仏して消える。■源平合戦に素材を求めた能で亡霊となって現れる後シテは、平家の武者が圧倒的に多いのだが、この能は犠牲になった民間人という設定に特色がある。軍人の戦への大義名分も民間人には無関係で、無為に殺された若者の母の恨みと嘆きを前場で描き、後場では殺された若者が冥界から戻り悲痛な慟哭を示す、痛ましく残酷な内容でした。前場では、ワキ座に座す武将盛綱に、老婆(母)が舞台を対角線的に詰め寄るシーンの鬼気迫る運歩と、舞台上を支配する静寂、、。オペラならさしずめ金管楽器の咆哮と打楽器の連打で表現するようなシーンであるが、能では逆に囃子方も地謡も静寂であり、それがかえって不気味である。オペラなら丁度、R・シュトラウス楽劇【エレクトラ】か【サロメ】の110人のフル・オーケストラによるフォルティシモ演奏の情景である。
オーケストラの絶叫で悲劇を強調するオペラ、、、それに対し能の表現は全く逆でありながら、静寂が重苦しい。
盛綱が弁解するかのように、母に若者を殺した理由や殺した時のことを語るが、語りに気をとられていると、そっと双シオリで強い悲しみを表現している姿を見逃してしまう。
盛綱が若者を殺し、水底に沈めた方向を見るのだが、老婆もその方角を目線で追う、、、しかしそれまでが盛綱の館(?)なら、沈めた岩場が見えるはずがないので、この“場”が海岸に転換するのは、能ならではの情景描写の表現の自由さを示しているといえよう。
後場では、若者が持ちたる杖を刀に見立てて自らが刺され、水底深く沈んでいく様を、正中あたりからシテ柱近くまで後退しながら表現するが、これまた恐ろしい情景であった。


■2005年1月23日 第49期・第1回 名古屋宝生会定式能

能楽【草薙】(宝生流)
場所;名古屋能楽堂

シテ;辰巳満次郎、ワキ;杉江元、ツレ;内藤飛能、間;井上靖浩、後見;玉井博祐、衣斐愛、地謡;柴田勲、織田哲也、寺部一威、久野幸三、佐藤耕司、衣斐正宜、石黒孝、和久荘太郎、大鼓;河村真之助、小鼓;柳原冨司忠、太鼓;加藤洋輝、笛;竹市学■《物語》比叡山の僧、恵心僧都が熱田神社へ参籠して最勝王経を講じていると、二人の花売りが現れる。日本武尊と橘姫の化身で、後場では、草薙の剣の威徳を舞い謡う。■内容がご当地物だから、それに宝生流のみの演目でもあり、上演される機会が少ない。これを見逃す手は無い、と出かけた。
能において前場と後場に挟まれるアイの語りは、物語を要約してあったりして、鑑賞の役に立つ。
この能においてもアイによって、天之叢雲剣として須佐之男命によって大蛇から取り出され、それが草薙之剣になる経緯が語られ、面白かった。シテの辰巳師は日本武尊を壮大なスケールで舞われ、その力強さは草薙之剣の神徳を表現されているかのごとくであった。太く通る謡の声も魅力的で、久々に宝生の謡を堪能することができたのも嬉しかった。
余談になるが、能の舞台になる熱田神社は現熱田神宮で、明治の神仏分離までは神宮寺もあり、奥三河のお神楽・花祭にも影響を与えたと思われる鬼追いの修正会も行なわれていたようである。
最勝王経は、「金光明最勝王経」といい、仏教による国家鎮護・万民豊楽のシンボル的経典である。まさに神仏の最高シンボルの合体したテーマの能といえよう。


■2004年10月2日 第八回「鏡座」公演

能楽【道成寺】
シテ;味方團、ワキ;森常好、ワキツレ;舘田善博、則久英志、アイ;野村小三郎、野村又三郎、大鼓;河村眞之介、小鼓;後藤嘉津幸、太鼓;前川光長、笛;大野誠、後見;林喜右衛門、味方玄、河村晴道、地謡;松野浩行、分林道治、河村晴久、河村博重、古橋正邦、梅田邦久、片山九郎右衛門、武田邦弘、鐘後見;梅若六郎、角当直隆、深野貴彦、河村和重、田茂井廣道、鐘吊;奥津健太郎、藤波徹、松田高義、野口隆行
■久々に道成寺を拝見した。囃子方と地謡が座着くと、鐘が長さ250Cm程の棒に吊られて入ってくる。いつもの作物とは異質な重圧感である。舞台天上の梁に付けられた輪に鐘を吊るす縄を通すのだが、鐘吊師の一挙手一動に緊張する。うまく通らなかったどうしよう、とか、、。鐘が吊り上げられると、その存在感と威圧感は絶大である。
さて本日のシテの味方師であるが、長身で面近江女を着面していると八頭身のファッションモデルのようなイイ女である。それはともかく、乱拍子から急之舞への舞に、ことらが呪詛でもかけられたがごとく舞台に見入り、身動きできなくなってしまった。鐘を見上げ烏帽子を扇で撥ね、一気に鐘の下へ。鐘へ飛び込むタイミングと鐘が落ちるタイミングの素晴らしさ!美しい鐘入りでした。鐘入りって、上手くいかなかったら、、って心配になって急之舞あたりから心配になってくるんですよね。鐘後見が立ち上がる頃になると、シテよりついついそちらが気になってしまって(汗)。私が心配しても仕方ないことですが。。後シテの鋭利な刃物のような鋭い舞も戦慄的でした。
乱囃子では、普段は大人しげな小鼓の師の気迫のシテとの掛け合いが見事でした。また、鐘が落ちると同時に奇声と共に転がるアイも特筆モノと思いました。久々に拝見した道成寺、大満足でした。


◎下記の2004年名古屋城薪能での写真を【日本!】No.7にUPしました。(名古屋城夏祭り会場特設舞台)

■7月30日 能【鉄輪】
シテ;清沢一政、ワキ;飯冨雅介、ワキツレ;椙元正樹、アイ;佐藤友彦、地謡;古橋正邦、須部甫、本田勲、笛;藤田六郎兵衛、小鼓;後藤嘉津幸、大鼓;河村総一郎、太鼓;加藤洋輝、後見;前野邦子、三村恵子

■8月1日 能【杜若】
シテ;三村恵子、ワキ;橋本宰、地謡;祖父江修一、清沢一政、加賀敏彦、笛;竹市学、小鼓;柳原冨司忠、大鼓;河村眞之介、太鼓;加藤洋輝、後見;今沢美和

■8月4日 能【殺生石】
シテ;梅田嘉宏、ワキ;高安勝久、アイ;野村小三郎、地謡;梅田邦久、祖父江修一、本田勲、笛;竹市学、小鼓;後藤嘉津幸、大鼓;河村眞之介、太鼓;加藤洋輝、後見;今沢美和、三村恵子

■8月8日 能【半蔀】
シテ;今沢美和、ワキ;橋本宰、アイ;井上祐一、地謡;梅田邦久、清沢一政、須部甫、笛;大野誠、小鼓;後藤孝一郎、大鼓;筧鉱一、後見;前野邦子

■8月12日 能【冨士太鼓】
シテ;久田三津子、子方;久田勘吉郎、ワキ;椙元正樹、アイ;鹿島俊裕、地謡;久田勘鴎、古橋正邦、梅田嘉宏、笛;竹市学、小鼓;福井啓次郎、大鼓;河村眞之介、後見;今沢美和


■2004年7月18日 名古屋観世会定式能

能楽【鉄輪】 (同じ演目、違う日の写真が『日本!No.7』にUPしてあります)

シテ;武田邦弘、ワキ;高安勝久、ツレ;杉江元、アイ;佐藤融、後見;久田勘鴎、片山九郎右衛門、地謡;外山圭一、加賀敏彦、高橋瞭一、梅田嘉宏、祖父江修一、梅田邦久、片山清司、古橋正邦、大鼓;筧鉱一、小鼓;柳原冨司忠、笛;竹市学、太鼓;加藤洋輝■前場で社人が女に、神託で呪詛に来る女があるとお告げがあったことを女に伝えると、微かに動揺を示す僅かな変化が内心の動揺を見事に表現されていた。
そして中入りであるが、橋掛かりを駆けるように運ばれるかと思ったが、ゆっくりとした歩みであった。貴船から宇治までの道のりの遠路を表現する距離感の表現で、急いで走りこんだら貴船の場所だけの情景になってしまうので、この運歩の速度は的を得てるのかと思った。
この橋掛かりの中入りの時、左手を体正面に突き出し、虚空をつかむような手つきは呪う相手の男の生命を握り潰す手、あるいは引き戻そうとする手つきにも見えて不気味であった。
後場は後シテが怨念で悪鬼に変じて祭壇に近づき、夫の新しい女の形代を打つシーンは戦慄である。
この能のシテ、悪鬼というか生霊に変じて呪詛成就を願う調伏シーンだけを見ると完全に悪役っぽい。
が、話全体からは気の毒な女性で、だれにでも経験したこと(?)があろう嫉妬話でありシテを恨むのは筋違いと思った。


■2004年6月12日 第15回 涛華能(幸友会別会鑑賞能)

能楽【山姥】(金春流)

シテ;櫻間金記、ツレ;鬼頭尚久、ワキ;飯富雅介、ワキツレ;杉江元、アイ;松田高義、後見;横山紳一、鈴木圭介、地謡;前田登、本田芳樹、本田布由樹、永田孝司、吉場廣明、本田光洋、金春安明、高橋忍、大鼓;河村総一郎、小鼓;福井啓次郎、笛;大野誠、太鼓;鬼頭義令■里の男に案内されて山へ分け入った遊女一行が、天気の急変をアイに指摘されるシーンは前回に拝見した能【船弁慶】同様に、アイがキーマンとしての役割をしていた。特に中入り後に、従者(ワキ)に、山姥の素性を思いつくままに語るシーンは愉快で、奇怪な情景だけに陥りがちなストーリーに幅をもたせて、アイの表現に救われる気分だった。
本日のシテの謡は・・・とにかく聴き取り難かった。。。
難声にも聴こえるが、渋みが有り過ぎて未熟な私が付いていけないだけなのか。。。シテの謡の一字一句を聴き取ることを諦めて、というより金春流の節での謡も聴くのも諦めて、全体の能の流れの鑑賞だけに専念した。舞い自体には緩急のメリハリあり素晴らしかった。


■2004年5月15日

能【船弁慶】(観世流)

シテ;観世喜正、ツレ;古川充、ワキ;高安勝久、ワキツレ;杉江元、橋本宰、アイ;野村小三郎、後見;駒瀬直也、五木田三郎、地謡;外山圭一、坂真太郎、小島英明、遠藤喜久、高橋暸一、中所宣夫、観世喜之、中森貫太、大鼓:河村眞之介、小鼓;後藤嘉津幸、太鼓;鬼頭好信、笛;竹市学■後場の知盛の幽霊の登場シーンであるが、揚げ幕の陰から謡が聴こえ、揚げ幕も半分だけ上がって知盛の姿が暗い中に微かに見える。
そして再び幕が下がる。。出るゾっ、出るゾっ、って焦らしすのは映画「ジョーズ」を600年も前に先取りしたかのようだ(笑)。ドキドキする♪
このシーンを拝見すると、能を支えていらっしゃるのは舞台の上の能楽諸師だけでなく、鏡の間で揚げ幕を扱う人も大きく関与していると思う。
「バサッ!」と大きな音をして幕が跳ね上がるが、この音は異界の住人が結界を突き破って現世に姿を現すにふさわしい異音である。
なぜならこのように大きな異音で揚幕が跳ね上がる能は、数少ないからである。
前場で“若女”の面をつけたシテ観世喜正師は八頭身で美しい姿であったが、後場では霊気孕んだ鬼気たる亡霊を大きなスケールで舞われた。
激しく長刀を振り回しても上半身下半身共にまったくブレなく、舞台から橋掛かりへ駆け込んでも、まったく乱れない。姿勢が崩れないのは、お見事!。
謡ものびやかで、私の流派と異なる観世流の謡を美しいと感じたのは、謡を拝聴した素直な感想である。
恵まれた体躯に、舞台・見所を包み込んでいく謡に研鑽された舞い、、、これからの観世流を大きく支えられるお一人であろう。
この能、私が秘かに好きなのは、船頭役のアイが船を漕ぐシーンである。海上彼方を見て、黒雲から天気の急変を知り、荒波を漕ぎ抜けていく操船術の表現、アイならではの演技が好きであり、本日のアイは十分に堪能させてくれた。


■2004年4月29日  中日能

能【千手】(観世流)

シテ;武田志房、ワキ;高安勝久、ツレ;梅田邦久、大鼓;河村総一郎、小鼓;福井啓次郎、笛;藤田六郎兵衛
後見;小島一英、観世芳伸、地謡;外山圭一、高島良一、須部甫、清水義也、高橋瞭一、観世芳宏、藤井完治、久田勘鴎
■初めて拝見する番組で、鎌倉が舞台である。鎌倉が舞台になる能は、多く有りそうで少ない。【鉢木】【盛久】そして【千手】くらいであろうか。【鉢木】が、いざ鎌倉っ的で、【盛久】は囚われの身の武士、一方【千手】は囚われの平家武者を愛する娘で、前者2番より艶っぽい叙情性がある。
鎌倉の山々に展開する猫の額ほどの谷戸に建つ、館の庭に面した部屋を想像しながら拝見した。
物語の内容の背景にある戦さの悲惨さ、罪業や愛と別離の重さに比べて、舞台は淡々と進行した印象がある。
フッと気を抜いて謡を聞き逃すと、状況が掴めなくなる「謡重視」的であるためだろうか・・・。
シテのシオリが度々繰り返されるのは、かえって全体のスケールを小さく見えてしまう、、、独断的感想だが。
最後、重衡が都へ護送されるシーンであるが、、、舞台から揚幕へ橋掛かりを二の松あたりまで重衡が去って行った時点で、千手は橋掛かり方向から向きを変えてしまう。脇正面から中正面の中間方向へ。この角度でシオルのだ。
多分に主観的感想だが、揚幕まで見送ってシオルのが自然かと思った。ちょうど【俊寛】が消えていく船を最後まで見届けるように。。つまり、舞いの演出の形にはいろいろあるものだ、と思った次第です。
能が淡々と進行したように感じたのは、本日の小書が≪郢曲之舞(えいぎょくのまい)≫という省略の多い演出だったためだろうか。。。今回は感動と疑問が半々という、珍しい印象であった。


■2004年4月10日青陽会定式能(第48期第2回)

隅田川(観世流)

シテ;今沢美和、ワキ;飯冨雅介、ワキツレ;椙元正樹、大鼓;筧鉱一、小鼓;後藤孝一郎、笛;鹿取希世、地謡;三村恵子、久田三津子、八神孝充、松山幸親、須部甫、清沢一政、久田勘鴎、加賀敏彦、後見;星野路子、武田邦弘■前回拝見した第24回金春会による【角(隅)田川】では物狂いの母の子供、梅若丸が登場したが、本日の公演では子方を出さない舞いであった。
子方が出ると、子を追う母の手をすり抜ける子供の亡霊が視覚的にリアルに迫ってくる。子方が出ないと、より見者に想像力が求められる。
本日の子方が出ない演出、シテ(母)だけに見える子供の幻、または亡霊を面の微かな動かしで表現する舞いは、出る場合とは異なった鬼気迫るものがあった。
本日のシテ師、特に塚の前での舞いは白眉であった。
塚前から正先へ、そして常座方面へ、、、母だけに見える子供を追っている姿に、私も一瞬、子供の姿が見えた、、、シテの実力ゆえであろう。
子方を出さないで演れ、という世阿弥と出す原作者の元雅の論争、、、室町の世にタイムスリップして2人の論争を想像しながら、双方の舞いの違いを比較して楽しむのも一興であろう。
私としては、、、子方が出た方がイイなぁ〜。。。


■2004年2月14日 名古屋能楽堂定例公演

能楽【鞍馬天狗】(観世流)
シテ;古橋正邦、子方;古橋正明、ワキ;飯富雅介、間;井上靖浩、今枝靖雄、花見;中尾、中尾、千田、松本、深見、石田、千田、水野、加藤、井上、後見;武田邦弘、今沢美和、地謡;外山圭一、八神孝充、松山幸親、加賀敏彦、清沢一政、久田勘鴎、梅田邦久、祖父江修一、大鼓;河村総一郎、小鼓;福井啓次郎、笛;竹市学、太鼓;鬼頭好信
■天狗は好色の象徴のようであるが、女性を好むのではなく、同性愛的でしかも幼時好み。女性を好むのは鬼である。天狗は山伏の姿が置換していったと思われる。これは現在の民俗学で言われていることだが。
が、一般的にはまるで天狗が空想上の生き物のように思われているのは、置換する前の山伏自体が現代では身近でないせいもあろう。
その点【鞍馬天狗】では前シテで山伏姿、後シテで天狗姿で現れるから、既に天狗=山伏の構図が出来あがっている。
この能は山伏の稚児(義経の幼少)への愛人としての求愛と結実、そして昇華した無償の慈愛へと、前場〜後場へと愛の形が変化する。
といっても、それは謡を深く読みこんで聴き込んだ場合であるが。この同性愛的側面が強調される解釈が多いが、軍記物とすれば義経が平家追討に奇策を用いたのは、天狗が伝授した“異界”と通じた秘法で勝利した、と読むことも出来るし、多くの平家物語を素材とした能の一シーンとしても興味深い。
世阿弥の著書【風姿花伝】の七歳の項には「この芸において大方、七歳をもて初めとす」と記載されている。
本日の子方は8〜9歳であろうか。堂々としてしっかり歳相応の謡を上手にされた。見所は後場で「牛若袂にすがりたまえば」で、天狗と牛若が交差するかのように舞う場面であろう。
しっかりつかまってしまってはいけない切なさを一瞬の舞いで表現された。シテ師とは親子の演能であろうから、面の中では「無」であっても目頭は熱くなるのではなかろうかと、想像した。シテ師の天狗の舞いは豪快で、まさに虚空へ舞いあがらんとするがごとくであった。


■2004年1月3日

能楽【養老〜水波之伝】(観世流)
シテ;久田勘鴎、ツレ;松山幸親、祖父江修一、ワキ;高安勝久、ワキツレ;杉江元、橋本宰、後見;上野嘉宏、梅田邦久、地謡;高島良一、八神孝充、本田勲、黒田博、須部甫、清沢一政、武田邦弘、高橋瞭一、大鼓;河村真之介、小鼓;柳原冨司忠、笛;竹市学、太鼓;助川治
■前シテは居グセがあり、正直いうと正月の番組にしては老人の樵夫では地味で華やかさに欠けるナ〜と思い拝見してました。
老人が勅使を滝壷へ案内して、あれが霊泉だと示す時に、正面を向いていた前シテ(樵夫の老人)とワキ〈勅使)が僅かに目付け柱の方に体を向ける。中正面の出入り口付近に滝がある感覚か(笑)。それはともかく、ツレの若者はその時も微動だにせずに正面を向いたままなのは演劇的アクションと異なり、いかにも能らしい。
地味な前場に比べて後場は神々しい天女の舞と激しい山神の舞の《水波之伝》がスリリングに展開した。
今回の【養老〜水波之伝】ではアイが登場しなかった。シテが中入りを先にしてからツレは、シテ柱付近で止まっているくらいの運歩で、時間をかけて中入りした。中入り後には先にに天女・観音菩薩(ツレ)が舞い、そして山神(シテ)が速い囃子で舞う。クラシック音楽なら“アレグロ”であるし、フラメンコならもっと早く性急な舞踏になるであろう。小刻みに連打される打楽器に空間を引き裂く能管の響きに比べれば能の舞いは優雅で、囃子と舞のバランスが均一でないのが能らしい。今日のシテ師も、速い舞いでも形が乱れることなく美しさを保っていらっしゃったのは流石!舞も良いが、囃子も聴き応え十分!で手に汗握る。
解釈ということでは、前シテ&ツレの樵親子が中入りすることで、彼等は観音菩薩と山神の化身であった、ということになろうか。後場の華やかさを拝見させて頂いて、正月らしい(?)気分で能楽堂を後にした。


■2003年12月7日

能楽【箙】(観世流)
場所;名古屋能楽堂

シテ;松山幸親、ワキ;杉江元、間;井上祐一、後見;近藤幸江、武田邦弘、地謡;高島良一、黒田博、八神孝充、本田勲、高橋瞭一、祖父江修一、古橋正邦、清沢一政、大鼓;河村真之介、小鼓;後藤嘉津幸、笛;大野誠■梶原源太景季の死霊がシテである。この能、《勝修羅》物であり、シテは負け戦でこの世に妄執を残して戦死した平家の公達ではない。武運功名を挙げた武士であるにもかかわらず、現世に執心があって成仏できないでいる。現世への執着は、奮戦し歴史に名を残した功名の執着か、梅花の美しさへの名残か、、。戦の勝利側にいながら、戦場の恐ろしさに僧に回向を頼む。
この能、前シテは直面である。景季の亡霊でありながら、なぜ直面なのか?拝見すると、“現世の人”ワキと同次元に存在するかに見える。前シテの景季なる武者の亡霊が、何歳くらいでなくてはならないか・・・そのヒントは謡の中には無いと思う。その曖昧さゆえの直面なのであろうか・・・。
この能、《居グセ》が長い。ちなみに私の宝生流謡本では、P.9からP.15まで前シテは動かない。が、地謡の聞かせどころである。前シテを見ながら地謡の迫力ある謡を拝聴してると、目前に源氏の白旗や平家の赤旗が翻っている様が見えてくる。謡の魅力全開である。
景季の後シテである鎧武者では、扇が能らしく場面によって表情を持ち変化する・・・時には剣に、時には梅花の枝に・・・。
シテが「一枝手折りて箙にさせば」で、開いた扇を閉じて背に回すシーンでは美しい梅花に見えた。
荒々しくも雅の心を失わないこの源氏の兵は、平家の歌舞音曲に秀でた公達にも劣らぬ風雅さである。
しかし前場が直面だと、素顔のイメージが残っており、後シテで《面平太》の面をかけていらっしゃっても素顔が思い出されてしまい、参りました。。。まだまだ私の、お能拝見の修行が足らないということだろう。
シテ師の直面自体は、キリリと精悍で美しかったですが・・・。


■2003年11月29日  名古屋能楽堂定例公演

能楽【三輪〜白式神神楽】(観世流)

シテ;梅田邦久、ワキ;飯冨雅介、アイ;井上靖浩、後見;久田勘鴎、片山九郎右衛門、上野嘉宏、地謡;高島良一、本田勲、須部甫、清沢一政、祖父江修一、武田邦弘、片山清司、古橋正邦、大鼓;河村総一郎、小鼓;後藤孝一郎、笛;藤田六郎兵衛、太鼓;助川治■三輪山の麓に庵室をかまえる幻貧僧都のもとへ、毎日樒と閼伽の水を持って来る女がいる。夜が寒くなり、衣を貸して欲しいと望む。或る日、三輪明神に僧都の衣がかかっていた。不審に思うと、女姿の三輪明神が現れて神楽を舞って姿を消す。

前回拝見した【角田川】の印象が今でも強く残っているので、前場を拝見しても、どうもこの能の世界に入りこめないでいた。だが、この違和感は後場になって一掃された。
今回の前シテの中入りは、鏡の間ではなくって、舞台上の杉の作り物へ入り、着替えて後シテとなり明神となって現れる。後場になって、杉の中に存在する巫女姿のシテの美しさ、そして神楽の舞。。ああ、この神楽を拝見するために今日は能楽堂へ来たんだ!、と感動する。
榊(御幣)を持った舞から舞扇に持ち替えると、囃子の調子も舞も変わる。
この「神楽」は“序・二段・三段”の構成になっている。“序”は神が来臨する準備の足づかいであろうし、“二段”は御幣を持った神の舞。“三段”で舞扇になると、人間の顔を持ったように感じた。
この人間の顔を持った神の姿であるが、僧の前に前場で衣を貸して欲しいと願うあたりから、人間的である。
最近は、正面席後方で拝見することが多いが、今回は開演20分前に着いたが、正面は満席で久々にワキ正面席後方に座った。舞台右側から左に向かって、階、正先、ワキを目にして、端正に身動き一つしないで座す地謡、シテ、気迫の囃子方、正面を見つめる後見、鏡板そして斜め手前に伸びる橋掛り、、、美しい!まったく美しい様式美!舞台が、演者が、囃子がそして後見も、この左右に展開する美しい世界よ!
ワキ正面からは、この立体感が良い。正面席からでは気がつかない美しい情景の中の神楽舞に、思わず感嘆の声がもれそうになった。シテ師の神楽舞、絶品。
余談ながら、神が僧の前に現れるのは、完全に神仏習合的である。
そして三輪明神は出雲系の神で大物主大神という男神である。御神体は農業神の蛇であり、「酒好き、女好き(by梅原猛)」ということである。


■2003年11月2日 第24回 名古屋金春会

能楽【角田川(隅田川)】

シテ;金春穂高、子方;金春飛翔、ワキ;飯富雅介、ワキツレ;椙元正樹、後見;横山紳一、鬼頭尚久、地謡;箕浦遵、広瀬雅弘、加藤正嗣、伊藤雄二、豊田均、金春憲和、高橋忍、高橋汎、佐藤俊之、福井哲也、大鼓;筧鉱一、小鼓;後藤孝一郎、笛;大野誠■(物語)都から人買いにさらわれた我が子を探して物狂いになった母が、武蔵の国隅田川で念仏供養にでくわします。聞けば、或る子供がさらわれて来て、ここで病死したので哀れに思った人達が、一周忌の供養をしているのです。まさに探していた我が子です。悲劇の運命に打ちひしがれる母の前に塚(墓)から、子供(霊)が現れ、母は抱擁しようとしますが腕を擦りぬけて消えていきます。気がつけば、草に覆われた塚だけが残っていた・・・。■先にワキ(渡し守)、次ぎにワキツレ(旅人)が登場(隅田川川岸に)して、物狂い(シテ)が来ることを話します。
物狂いの母(シテ)は、舟に乗せるように渡し守に、鳥の名を尋ねたり在原業平の古歌を出したりしますが、ここでの畳みかけるような師の謡のテンポの速さは、まさに分裂的と感じました。子供を探す逸る気持ちと、何がなんでも乗船したいというごり押しにも思える場面に、ふさわしい師の謡表現でした。
船上で渡し守による、対岸の念仏供養についての語り、この語りが重要ですが、まさに風格を感じるワキ師の語りでした。
この語りに、物狂いの母が「父の名は?おん歳は?子の名は?」とシテの問い掛けは、小さなうめくような声から段々と大きな声になるだけでなく、テンポもゆっくりから早くなるのですが、答えが帰って来る度に不安が的中する恐怖と信じたくない気持ちの葛藤が、確信せざるおえない現実へと進む心理描写の謡いとして師は見事でした。
そして供養されているのが我が子と分り、右手の「狂い笹」を落として双ジオリ。渡し守も、自分が語った話の母が目前にいるショックに、櫂を落す。ワキの人間味が、ここら辺から強く出てきますが、此れ程に感情を表すワキも珍しいのではないでしょうか。
私は、ここら辺から涙腺ウルウルになってきました。
渡し守に案内され、子の梅若丸を埋葬した塚(墓)の横での居グセ。無常を嘆く激しい慟哭も、そっとシオリだけで表現する、能らしいインパクトのシーンでした。
念仏のシーンに入り、地の底から涌きあがるような地謡の南無阿弥陀仏のゆっくりとした繰り返し・・・鉦鼓を母が打つと、塚の中から子供の南無阿弥陀仏の声が・・・。その声に、あれは我が子かと確かめる母。
子方の金春飛翔君(師)の無垢で飾り気の無い謡に、胸が絞めつけられる・・・。
母の塚に対峙する衝撃の後ろ姿・・・師の微妙な動きにも、激しい感情の動きが表現されていました。
母にとって残酷なシーンは、まだ続きます・・・塚の中から現れた我が子(霊)を抱きしめようとしますが、腕を擦る抜けるばかり・・・母と子供(霊)が塚の前で左右に交差しますが、子方の飛翔君のタイミングのはかり方も見事。
右へ左へ、子を求めて繰り返される動きの焦りと無念の表現・・・残酷なシーンに、涙が止まらなくなりました。このように残酷な能があるでしょうか!
塚に消えたわが子に、我に返ると・・・そこには草に覆われた塚があるだけ・・・母は、塚に茂った草を確かめるように撫で続けます・・・。なんと残酷・・・【救済無き悲劇の能】です、これは。

原作者の観世十郎元雅が子方を出したのに対して、世阿弥は子方登場不要論だったようです。
シテ一人に関心を集中させて、抽象化する世阿弥論は、能を突き詰めた先の姿でしょう。
しかし母親と生き別れて、そして再会することなく死去した子供の事を思うと、子供は霊になっても母に会いたかったでしょうから、子方を出す演出は、子供から見た悲劇をも表現しえているのではないでしょうか。

今日の能、とにかく感動!でした。シテ、子方、ワキツレ、地謡と囃子方の名演です。
そして、ワキ師!。ワキの人間性表現は温かさがありながらも、塚の前で母に鉦鼓を渡した時点で視野から消えてしまいます。これは同情を表しながらも、第三者としてどうすることもできないわけですから当然で、渡し守にとっても残酷な話しです。ワキ師が、その名の通りに脇をしっかり固めていらっしゃっての名舞台でした!


■2003年10月4日 青陽会定式能(第47期第4回)観世流

能楽【楊貴妃】
シテ;松山幸親、ワキ;杉江元、間;今枝靖雄、大鼓;河村真之介、小鼓;後藤孝一郎、笛;鹿取希世、後見;星野路子、梅田邦久、地謡;久田三津子、今沢美和、高島良一、須部甫、高橋暸一、武田邦弘、久田勘鴎、加賀敏彦
■物語としては【砧】の、その後を想像した。
【砧】ではシテ(北の御方)は、夫への恋慕の妄執と不実への疑いの煩悩から病を発し、堕地獄する。しかし夫の回向により成仏する能である。砧を打つ北の御方は夫と、結果として再会することなく死別。

そして【楊貴妃】。楊貴妃のことが忘れられない皇帝は、神仙の術を会得した方士(日本流に言うと、呪禁師、陰陽師であろう)を遣わす。蓬莱宮にいる楊貴妃は方士に、皇帝との昔を懐かしみ、死してなお愛の心情を語る。

【楊貴妃】は中国の女性が主人公だが、作者の金春禅竹が中国へ旅した記録はない。むろん能楽は異界が舞台が殆どだから、中国は「異界」の一種として創作したのであろう。

ただ能のテーマの普遍性からいうと、九州の豪族の妻を扱った【砧】の“その後”が【楊貴妃】、と私が勝手に連想したように地域・時代の超越性が能にはある。であるが、この能を「中国物」と見る自由も許される。

序之舞は、まるで停まるがごとくゆったりとした囃子と所作で舞われた。死してなお美しい楊貴妃の気品を表現される師の舞は、永遠を感じさせる程であった。
方士は天上から黄泉の国まで楊貴妃を探したが、見つからず蓬莱にたどり着いた。蓬莱は申すまでもなく、道教思想の不老不死の三神山の一つである。

この能は中国物としても珍しいが、道教的ということでも珍しいと思う。多くの能は現世=舞台へ、結界=揚げ幕を通って、冥界=鏡の間から異界の存在が現れる。
が、この能はそれが逆転している。現世へ戻る方士を、異界の楊貴妃が扇を挙げて見送るシーンの寂しさには、胸が熱くなった。


■ 2つの【砧】

●2003年9月20日 観世九皐会九月定例会
シテ;観世喜之、ワキ;高安勝久、ツレ;駒瀬直也、間;野村又三郎、後見;観世喜正、小林喜久、地謡;外山圭一、加藤保彦、坂真太郎、小島英明、高橋暸一、中森貫太、五木田三郎、中所宜夫、大鼓;河村真之介、小鼓;福井啓次郎、太鼓;助川治、笛;香取希世

●2003年9月23日 久田勘鴎の会
シテ;久田勘鴎、ワキ;高安勝久、ツレ、上田拓司、間;野村又三郎、後見;祖父江修一、下川宣長、地謡;松山幸親、笠田昭雄、清沢一政、上田公威、山田義高、上田貴弘、浦田保利、笠田稔、大鼓;河村総一郎、小鼓;福井啓次郎、笛;大野誠
■1週間に二つの【砧】を拝見する機会に恵まれた。当地では時季物とはいえ、このような機会は稀である。
共に観世流。同じ流派でどのような違いが出るか興味があった。

まずシテの舞いによる違い・・・観世喜之師の舞う、九州芦屋の豪族の女房は、主人の不在によって非常に気弱になった北の御方の姿であった。いつ帰郷するとも分らぬ主人を待ち、夕霧の伝達で更に年の暮れまで再会が引き伸ばされ、意気消沈しているシテであった。このシテなら、年の暮れにも帰郷できぬとの知らせに病を発し床に伏せ、病死するのも分る。後シテの怨霊になってからは、前シテよりも力強く舞われた。気弱だった北の御方の激しい死後の怨念が込み上げる様子が表現されていたと思う。

一方、久田師のシテは、前シテから気丈な我慢強い北の御方を舞われた。主人の帰郷を強く信じる信念が感じられた。だからこそ逆に、年の暮れも帰郷不可能の知らせにガックリと病を発して「むなしくなりにける」のが分る気がしました。死後の後シテからも地獄の苦しみが強く表現された舞いでした。

両師共に、「うらめしや年の暮れをこそいつわりながら待ちつるにさては早まことに変わりはてたもうぞや」で絞り出すような苦渋の謡いには戦慄を感じたし、それに続く謡の「ついにむなしくなりにけり」の不気味さは、謡の白眉です。

演出の違いでは、砧の作り物が久田師の場合は、ツレと向かい合って砧を打つ場面で、ほとんどワキ柱に近い所に置いてあった。ツレの姿が、正面真ん中で拝見していても柱の陰になって見えないような状態でした。隅っこは暗い・・・女房の弱弱しさを表現したのか・・・それとも芦屋と都の距離感を表現したのか、、、いづれのせよ精神的表現と思う。

囃子の違いは、九皐会では太鼓が後場に入った。太鼓は地獄の火を表現するだようが、有無にかかわらず良かった。

作品内容的には、夫の帰郷を待ちわびて病死する女房は天国に召されてほしいところだが、恋慕の妄執から墜地獄するとは「地獄思想」も酷いものだ。砧の能のシテとワキの心情は、コインの裏表で一体である。待つのも辛いが、待たせるのも辛いものである。


■ 2003年8月23日 衣斐正宣後援会能(宝生流)

袴能【雲雀山】
シテ;近藤乾之助、子;近藤諷一郎、ワキ;宝生欣哉、ワキツレ;則久英志、御厨誠吾、野口能弘、間;井上祐一、今枝靖雄、鹿島俊裕、大鼓;河村総一郎、小鼓;福井啓次郎、笛;竹市学、後見;武田孝史、東川光夫、地謡;村上茂、青木堯、柴田賢治、平田正文、波吉雅之、寺井良雄、水上輝和、佐野登

能【俊寛】
シテ;衣斐正宣、ワキ;飯富雅介、ツレ;内藤飛能、水上優、間;井上靖浩、大鼓;河村真之介、小鼓;柳原冨司忠、笛;鹿取希世、後見;宝生英照、寺井良雄、水上輝和、地謡;竹内孝成、竹内良伯、竹内淳一、久野幸三、東川光夫、亀井保雄、武田孝史、和久荘太郎
■袴能【雲雀山】は当地では十年ぶりとのことである。私も拝見するのは初めてでした。能の進行とは全く同じで、作り物も登場するが、面が無しで装束は袴だけである。

能は、足の運び一つで場所や時間の移動を意味するため、拝見する者の想像力が必要であるが、袴能ではそれが一層試されることになる。侍従役のシテは本来は女面の面深井であるが、それさえ無い。男性が袴だけで舞うのを、女性と思って見なくてはならない。顔を剥き出しで舞うシテの緊張は、どれほどか。直面の能とは異なった緊張であろう。本日のシテを舞われた近藤師、全曲にわたって強い緊張感を均整を保って素晴らしかったです。でも個人的には、本来の能が好きかナ〜。。。袴能は、見てても涼しげなんですが、「エコ能」というより「省エネ能」って感じでした。

能【俊寛】は、舞いが無いが、劇的に進行していく。元々、能は感情表現も抑制されていて象徴化されているが、【俊寛】では演劇的な劇的表現も見られた。

問答では『さては筆者の誤りか』で、激しい動揺を相手に知られまいとして抑圧して理性的に振る舞いながらも、突き上げる衝動的感情で絞り出す詞。シテの衣斐師の、ゾクリッ、とする悲愴な声!

写実的な所作では『覚めよ覚めよと現なき』の時に、赦免状を投げて地面を打つ表現。

鬼界ケ島にワキ(赦免使)が現れてからの息もつかせぬ展開。師の感情的でありながらも大げさにならない舞は見事で、赦免使の到着の喜び〜一転、驚きと嘆き、そして絶望を鬼界ケ島の浜の情景を、能楽堂に現出された。『次第に遠ざかる沖の波の』で、魂だけが体を離れて舟に乗っていくかのような俊寛の後ろ姿は、鬼気たるものがあった。

この能、『鬼界ケ嶋と聞くなれば。鬼ある所にて』と謡にあるのは、まさに現世に現れた“地獄”なのであろう。赦免される成經と康頼は、鬼界ケ嶋では熊野参拝を擬して巡礼を行い、幣を捧げた。幣(しで)は、神社への崇拝の意味である。地獄の十王はワキ(赦免使)である。地獄の王は、時には鬼を追い払い極楽へ導く慈悲の面と、再び地獄へ突き落とす恐怖の面の二面を持っている。

鬼界ケ島を離れる舟にすがり付く俊寛にとって、赦免使(ワキ)は“恐怖の王”であり、成經と康頼にとっては“慈悲の王”である。


■ 2003年8月3日 青陽会定式能(第47期第3回)

能楽【鵜飼】(観世流)シテ;清沢一政、ワキ;杉江元、ワキツレ;杉江淳、間;井上祐一、大鼓;筧鉱一、小鼓;福井啓次郎、太鼓;加藤洋輝、笛;鹿取希世、後見;近藤幸江、梅田邦久、地謡;久田三津子、今沢美和、高島良一、須部甫、加藤保彦、古橋正邦、武田邦弘、祖父江修一■(物語)僧が川辺の御堂に泊まると、鵜飼の老人が現れる。老人に、高齢になってまで殺生を止めるように薦めるが、生計を立てているから、と述べる。僧は以前にもこの地で同じような老人にもてなしを受けたことを語ると、その老人は禁猟を犯した罪で殺され、実は自分がその老人の亡霊である、と語り鵜飼の様を見せて消える。(中入り)僧が法華経を川辺の石に一言づつ書いて川に沈めると、閻魔王が現れ、法華経の力で老人が地獄から救われることを舞ます。■シテの清沢師、たいへんに通りの良く沁み込むような美声で、舞も豪快で感激でした。

最近は、空いている限り舞台からできるだけ離れた席で拝見することにしている。戦国〜江戸時代の舞台と大名の座していた距離感(想定だけど)を実感して、当時の見えていた姿に近づこうと思うのだ。

一定の距離があると、面を通してはくぐもった声の謡では、聞きづらく大名席まで聞えなかったかづである。室内にもう一つの室内を作った能楽堂では、音響からして当時とは違うだろうが、それでも今日のシテ師は特に後場の閻魔王を意識されていたのでしょうが、力強さ、素晴らしかったです。

作品的には、前場での鵜飼の再現の舞が【善知鳥】と同じくらいに濃いかと思ってたけど・・・。【善知鳥】の鳥追いの舞が強烈な印象のためだが、【鵜飼】では法華経によって救われる「宗教劇」に重きがあるために、後場の閻魔王の印象が拝見後に残るためかもしれないが・・・・

余談だが、石に経を書くのは“一字一石”といって、南北朝時代から近世まで、この石を土に埋めて供養の石塔を建てることが行なわれた(《石仏を歩く》JTB出版より)。

更に余談ですが、閻魔王の本地(元の姿)は地蔵菩薩。


■ 2003年7月27日 「鏡座」第7回公演

能楽【天鼓】(弄鼓之舞)
前シテ(王伯)、後シテ(天鼓の霊);味方團、ワキ;飯富雅介、アイ;野村小三郎、
大鼓;河村眞之介、小鼓;成田達志、太鼓;上田慎也、笛;大野誠
後見;林喜右衛門、武冨康之、河村晴道
地謡;河村和晃、松野浩行、田茂井廣道、今村一夫、上田大介、松浦信一郎、大槻文蔵、河村和重
■鏡座(味方團、野村小三郎、大野誠、河村眞之介、後藤嘉津幸の各師)からシテ、アイと大鼓が参加された【天鼓】であった。

シテの味方師、これから当地の観世界を背負っていかれる方であろう。師の舞いは、若手らしく清清としていながら凛として、それに大味にならない丁寧な舞で魅了して下さった。素晴らしい能でした。

前シテの王伯は、帝の前で鳴らなかった鼓を鳴らす。帝は天鼓の霊の供養を約し、宝を持たせて帰す。

しかし従者(アイ)に宮殿外(シテ柱)まで見送られて無言で帰路(橋掛り)につく王伯の、内に秘めた怒りを感じる。そして少し背を丸めて歩を進める師は、王伯の抑圧された悲しみをも表現されていたと思う。愛児を失った悲しみと、身勝手な帝への憤り、そして運命に抗えない自分自身の境遇の悲しみ。でなければ、後場の天鼓の霊(後シテ)の舞は理解できない。弔いを受けたことへの喜びの舞ではなく、激しく頭を左右に振ったり足拍子の多さは、成仏できない苦しみのように師の舞から感じた。

鏡座の大野師の笛も、猛り狂ったような響きもそれを表しているように思った。《能楽手帖》の解説の『ただ一度の回向をありがたがり、反抗らしい姿勢は見当たらない。父と子の魂のふれあいと、おのれの芸術の勝利をうたいあげた』との解釈とは異なった感想を持った。


■ 2003年6月8日 名古屋観世会定式能

能【善知鳥】
シテ;観世喜之、ワキ;飯富雅介、ツレ;高橋瞭一、子方;久田勘吉郎、間;井上祐一、後見;梅若猶義、観世喜正、地謡;外山圭一、松山幸親、加賀敏彦、清沢一政、古橋正邦、梅田邦久、井上嘉介、武田邦弘、大鼓;河村総一郎、小鼓;福井啓次郎、笛;鹿取希世
■(物語)陸奥国外の浜へ行脚に向かう僧が、越中立山に立ち寄ります。
[前場]僧(ワキ)は、老人(シテ、亡霊)に呼び止められ、陸奥国外の浜に昨年死んだ猟師の妻子に、蓑笠を手向けて欲しい、と証拠の片袖を託して消えます。
[後場]僧は、外の浜の猟師の妻子に会い、片袖を渡すと、形がピタリと合います。僧と共に回向をすると、夫である猟師の亡霊が現れ、生前に鳥獣を殺した罪科に地獄に落ちて苛責を受ける苦しみを見せ、弔いを頼んで消えていきます。■前場は、立山の場で、現れた猟師の亡霊が僧に片袖を渡すだけである。シテは舞台に現れることなく、橋掛かり1、2の松の間までの登場で、中入りする。短い前場であるが、橋掛かりから舞台の僧に向かって、低く呼びかける謡は、亡霊たる謡の不気味さと舞台扱いが見応え十分である。
後場は一転して、外の浜の猟師の家である。僧・妻子が蓑笠を手向けて回向をする場に現れた亡霊(後シテ)が、「あらなつかしや」と我が子に近づく、絞り出すような慟哭の声に鬼気たるものを感じた。
更に我が子に近づこうとすると、子供の姿が霧散してしまい、再び一転して猟師が苛責を受ける地獄のシーンになる。この情景の急変の残酷さ、非情さはどうであろうか!善知鳥を追いまわすシーンの再現と、善知鳥に逆襲を受けて逃げまどう〈翔(かけり)〉の陰惨さは筆舌に尽くしがたい。シテが投げた笠が、ピタリと舞台に止まるのも、巧い。白州まで飛んだら、とヒヤリとするシーンである。
今日の観世喜之師、猟師の苦悩と自責を抑制的に内面に貯めつつ、滲み出るように好演されました。


この能、世阿弥作と伝えられているが、いずれにせよ室町期の作であろう。この当時には『立山地獄信仰』が密教僧によって都にも流布していた故の曲であろう。仏教的には、地獄は地の底にあるとされながらも、地域指定された密教的地獄が、都から直線距離300Km隔てた立山であった。
猟師の亡霊は、立山に現れた。地獄に落ちた人が、生前の場所ではなく、立山に現れたとするのは、当時の地獄感の片鱗とみてよいであろう。その場合、亡霊が生前の場所に現れるには、形見の片袖による「符号の一致」が必要であった。符号の一致とは、すなわち〈生〉を信じている妻子が、一転して〈死〉を認めざるおえない残酷な道具として、片袖は存在していることになる。
夫の死を妻子が受け入れ、僧と共に回向をして初めて、猟師は亡霊として生前の外の浜に帰ることができたのである。しかし再び亡霊は、立山地獄での苦しみを予感させるあたりが、この能の恐ろしいところである。
余談ながら、この世阿弥の200年前のミャンマー、バガン王朝における「地獄」は、バガン周辺の地下に存在した。ビルマ族がバガンの地に進出してきて定住を始めた経緯と、畿内が中心でその外が「鬼の住む地」であり、東国が「まつろわぬ人々の地」であった日本の違いであろう。


■ 2003年5月17日 観世九皐会

能【大原御幸】
シテ;高橋瞭一、ワキ;高安勝久、法皇;観世喜正、阿波内侍;中所宜夫、大納言局;佐久間二郎、臣下;飯冨雅介、ワキツレ;杉江元、篭;橋本宰、椙元正樹、アイ;今枝靖雄、後見;観世喜之、小林喜久、大鼓;河村総一郎、小鼓;柳原冨司忠、笛;鹿取希世
地謡;外山、坂、小島、奥川、加藤、駒瀬、五木田、中森
■安徳帝の生母、建礼門院の平家滅亡後の悲しみに満ちた能。
演能時間は、たっぷり2時間!。オペラのように、場や幕で仕切られることなく、延々の二時間。

今回は、見所の正面最後部席から前へ3列目という離れた席(明治以前には最高の席に相当)から拝見した。

後部ゆえ、能楽堂専属のVTR&カメラマンが演能後に「通し稽古は1時間半だったのに、本番は二時間かかったね〜」と会話していらっしゃった。

交響曲の演奏時間は、指揮者の楽曲解釈以外に、ホールの残響やお客さんの入り具合で響きをコントロールするため時間が変化するといわれる。情感の高まりと共に推進力が高揚して、リハーサルより演奏時間が早くなることもあるであろう。残響を重視して、遅くなることもあるであろう。。。

しかし30分も本番で遅くなりとは、、、しかし決してダラケタ感じも、間延びした感じもなかった。時間を忘れる二時間というべきか。

能楽師、囃子方ともに、運命に弄ばれ実子や平家一門の菩提を弔うために余生を生きる、延々の変化のない時間の悲しみを画くには、たっぷりとした演能時間が必要だった、ということであろう。

本能には舞が全く無いので、本来は素謡用の能との解説のある。しかし、、、目前で展開する1186年の大原の山間での情景に極力〈動〉を排したのではないかと思う。舞台中央での〈居グセ〉〈語〉だけで、鏑矢の唸り、鬨の声、弓弦の音の地獄絵と、大原の草木の香りを連想できた。

圧巻で胸が締めつけられた情景は、都へ還幸する法皇を(橋掛り)建礼門院が見送る(舞台)シーンであった。再びまみえることがあるのだろうか・・・世俗に生きる法皇と、世俗から離れ出家した建礼門院の物理的・精神的距離が離れていく瞬間である・・・820年も前の門院の霊が降臨したかのようであった。

そして、、、建礼門院が、橋掛りを去っていく・・・時間が過ぎ、法皇も門院も共に黄泉の国の住人・・・揚幕の向こう側は、この世では無い・・・それが能の世界。


■ 2003年4月29日 中日能

能【杜若】シテ;観世清和、ワキ;宝生哉、狂言【清水】野村又三郎、野村小三郎
仕舞【兼平】梅田邦久、【網之段】武田志房、【善知鳥】藤井完治
蝋燭能【殺生石】シテ;観世芳伸、ワキ;高安勝久
場所;名古屋能楽堂
能【殺生石】(蝋燭能)
舞台周囲に燭台のローソクが16本、林立した。見所は照明が消され、舞台も僅かな照明に落された。ローソクのゆらめきがわかる程である。
殺生石での作物は、二つに割れる石が置かれる場合が多いが、今回は作物無しで中入りで幕に入った。

野干(狐)=後シテが幕が勢い良く挙げられると、疾走するくらいのスピードで橋掛りから舞台へ登場したのには驚いた。視野が狭窄した面をいただき、暗い舞台へ疾走して登場するには並々ならぬ技が必要であろう。後シテ(野干)が追手に射殺されるシーンの描写の舞では、橋掛りで後ろへのけぞったかと思ったら、そのまんま後ろへブッ倒れたのには、またまた驚き!なんて写実的描写。

蝋燭の雰囲気ある能を見ると、電灯照明で見たいという気持ちが無くなるのは、稀の演能スタイルなのにインパクト強いからである。電灯照明は「幽玄(ほのかなまぼろし)」の雰囲気からは遠い。

演能前には異例のアナウンスで、「能の後、蝋燭を消すまで席をお立ちにならないで下さい。蝋燭が全て消えると場内が暗くなりますが、それから照明をつけます。」とあった。能が終わり、蝋燭が消えて、場内が真っ暗になる。期待した、、、しかし、、、能が終わり囃子方が幕へ入ると照明がついてしまった。まだ蝋燭が燃えているのに。そ〜するとゾロゾロと帰り始める人達の多いこと。あ〜ぶち壊しじゃないか。なんの手違いか!照明係は意図を理解してないのか、残念!囃子方が幕に入っても、蝋燭が全て消されて場内が漆黒の闇に包まれるまで、【能】は終わっていないのに!なぜ僅か数分を急いで席を立つのか?拍手もそうだ。なぜ性急な拍手をするのか?私は感激した時は、逆に拍手をまったくしない。霊的な現象(能)は、静かに能舞台に現出して静かに消え、能舞台だけが残る・・・それが理想だからだ。

この【殺生石】の内容、2つの側面があると思う、、
野干(狐)が女に化けたり、憑いたりするという『狐憑き』の《邪》の側面。
中世の天皇・貴族・武将が信じた茶吉尼天信仰の《聖》の側面。
茶吉尼天=野干に乗っていることから、後に狐=稲荷。茶吉尼天を奉る「灌頂の法」は東寺系密教僧により、天皇即位の秘法として用いられたらしい。
狐の《邪》を悪鬼として扱う能には、体制批判もあったのではなかろうか?


■ 2003年4月6日

能樂【敦盛】【求塚】他
(観世流第25回邦謡会能)
場所;名古屋能楽堂
能【敦盛】(シテ;上野嘉宏、ワキ;高安勝久)
《あらすじ⇒笛の名手で若干16歳の平敦盛を討ち取った熊谷直実は仏門に入り、かつての合戦の場の一の谷を訪れます。そこで出会った草刈男は、実は敦盛の霊であると名乗り消えます。蓮生(熊谷直実)が霊を弔っていると、武将姿の敦盛が現れ、平家の栄枯盛衰と討死を舞い、回向を頼んで消えていく。》

・・・誤解を恐れず言えば、「戦場写真」にも名作は存在する。報道のグラミー賞ともいうべきピュ−リツァー賞を戦場写真で受賞したフォトグラファーも多い。一昨日発売された4月18日号の写真週刊誌『フライデー』の表紙写真に釘付けになった。イラクの空爆で離散した家族の4歳になる子供を、米兵軍医が横抱きで抱っこしている写真である。子供は敵とも分からず米兵の胸に手をあてて甘えた様子。米兵軍医は、慈愛に満ちた目で子供を見ている。。。多くを語る、、、米兵のやるせない気持ち、離散した子供は一瞬で両親や幸せな毎日を奪われた、、、1枚の写真だけで、戦争を十分に語っているではないか。もういいだろう、戦争は。

イラクの子供と違い、敦盛は戦闘員である。しかし歌舞音曲に秀でた若干16歳の若武者が、自らの意思と関係なく幸せが奪われ戦闘に巻き込まれ戦死する。

疑問がある。中世の幕臣貴族は戦乱の世で、若武者を討ち取った熊谷直実が戦乱の無情に出家した内容のこの能を見て、どう思ったのだろうか。戦乱の世への痛烈な皮肉、または非戦的と思わなかったのだろうか?

本日のシテの上野師、中之舞でもキビキビとして、凛々しい若武者を表現すると同時に悲哀も感じられて美しい舞であった。
前シテは直面(面をつけない)であるが、何故だろうか?

能【求塚】(シテ;梅田邦久、ワキ;植田隆之亮)
《あらすじ⇒若菜摘みの娘に都へ向かう僧侶が、求塚はここか?と尋ねる。多くの娘が去った後に一人残る娘は、やがて求塚の由来を語る。二人の若者から同時に求婚されたが選べないので、条件を出し、それでも一人を選べないので入水して自害した。それを知った若者二人は、互いに刺し違えて後を追った。娘は今、八大地獄で責め苦しんでいる様子を見せるが、僧の回向で成仏する。》

求塚の云われを語る前シテの戦慄的内容と、後シテの地獄の表現の不気味さで、これまで見た能楽の中で最も重苦しい内容でした。

通常は前シテは中入りで、橋掛りを経て鏡の間へ入るが、この能では舞台上の作り物の求塚へ入る。何故、中入りが通常と違うか疑問を持って見ていたが、後になって後シテが作り物の中から謡を始めるのを聴くにおよんで理由が分かった。地の底、地獄が舞台の上に現れたのだ。地獄の底からの苦しみの声を演出するには、通常の中入りでは不可能である。

怨霊とは違う、亡霊そのもの、しかも地獄の責めの苦しさの能っ重い!2時間たっぷり!重ぉ〜い能でした。後シテは最後に鏡の間へ去る時も、ゆ〜っくりとたっぷり橋掛りを4分はかけて消えていった。ふ〜。

シテの梅田師、壮絶な苦しみを抑制された表現で凝縮して演じられお見事であった。


■ 2003年3月8日

能樂; 【西行桜】、【国栖】、
狂言; 【昆布売】、仕舞; 【田村、笹之段、屋島、春日龍神】
場所; 名古屋能楽堂
【西行桜】(観世流シテ方、久田勘おう)
嬉しい間違いをしていた。午前11時開演と思っていたら12時半で、仕事後に駆け付けたのが午後1時40分。〈序之舞〉直前に見所に転がり込む。
西行の『夢の中』に現れた老桜の精の夢幻能。舞台上には、西行庵と桜を表す作物がひとつ。

ワキ柱横にワキ(西行)が座して(眠って)いる。シテが優雅に舞う。面皺尉の面(おもて)は高貴で穏やかな達観した表情の面である。シテの久田先生は舞台一杯を爽やかでいて威厳のある舞を披露された。

「アダージョの舞」の〈序之舞〉に太鼓が加わることで、寒さを通り越して春の暖かさに歓喜する華やかさも表現される。

シテ(老桜精)が舞台から去り、西行(ワキ)は目覚めるが、老桜の精が夢だったのか、花見自体が夢だったのか・・・それとも【西行桜】を見た観客自身の夢だったのか・・・「夢幻能」は不思議な美しさを持っている。

【国栖】(観世流シテ方、加賀敏彦)
作物が2つも出てきた。子方の清見原天皇登場の時の輿を象徴するもの、そして老翁・姥登場の小舟の2つ。小舟が清見原天皇を追手から隠すのに使われたり、能にしては珍しく描写が写実的である。

老翁(シテ)の演技も追手(アイ)との掛け合いも、アイの語りのペースを上回るハイペースで劇的。こんな具体的表現は珍しく、面白い。

老翁・姥が間を挟まずに、どのように蔵王権現と天女に変身するか興味津々であったが、大小鼓の囃子の僅か3〜4分で鏡ノ間に中入りして「変身」してきて驚いた。着替えが大変であろう。

天女の優しい舞と権現の力強い舞が順に舞台に繰り広げられた。
前半の劇性と後半の舞踏性を併せ持った、後味スッキリの能と演技であった。
【西行桜】【国栖】のニ番の上演番組の組み合わせも相性バッチリ、でした。


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