■ 平成29(2017)年9月9日 京都市左京区鞍馬貴船町、貴船神社
貴船神社本宮および奥宮の御祭神は共に高龗神(タカオカミノカミ)である。下記のことから奥宮が元宮で、本宮が里宮というべきである。その二社の間に結宮が御鎮座し、御祭神は磐長姫命である。
高龗神は降雨止雨を司る龍神としての水の神である。鴨川の上流に位置するから、都の水源として水の神が崇められてきたことが分かる。 奥宮の本殿向かって左側には、舟形の石積みが見受けられる。これは御祭神の祀られた謂れに譚を求めることができる。反正天皇の御世(五世紀初頭)に玉依姫命(神武天皇の母)が淀川鴨川貴船川を黄船(きぶね)に乗って遡上し、この地に上陸して祠を営んで水神を祀ったということだが、その玉依姫命が乗ってきた船(黄船)を人目を憚って石で覆って隠したのが、「御船形石」だという。よってここに神が降臨したことになり、ここ奥宮が元宮である。ではその玉依姫命によって祀られた龍神は?というと、鬼国の娘が人間の貴族の妻となり、死後に貴船の神として祀られたとか、その貴船の神がこの地に来臨した時に従ってきた神社の社人が鬼の子孫であったとかいう奇譚があるらしい。平安京にとって北の結界であった貴船は、さらに奥には鬼の住む国が有ったという奇譚もある。都人にとって、結界ぎりぎりに住む人間への恐れがそのような奇譚を生み出したことは容易に分かる。
話は変わるが、貴船神社は 能【 鉄輪(旧名;貴布禰)】の前場の舞台でもある。貴船詣での女が、自分から離れて他の女の元に走った夫を呪い殺そうとすると、貴船の神が呪いの方法を託宣するのである。この話の女は能以外では橋姫という名前で知られるが、7日間貴船神社に籠るのである。籠って恨みを募らせるうちに生霊へと変容するのである。 後世において、呪詛の方法として藁人形を五寸釘で神社の樹木に丑三つ時に参詣して呪いながら打ちつけるというのがある。この方法は実はさほど古い方法ではなく、この呪詛方法が確立したのは、江戸時代後期だという。ゆえに人形に五寸釘という呪詛方法は、能【鉄輪】が出来た頃の呪詛方法ではない。ちなみに拙者は貴船神社奥宮で五寸釘が打たれた痕跡を探したが見当たらなかった。 しかし高龗神を祀る奥宮と本宮では、その御祭神から呪詛への話の変化は飛躍しているようで、どこでどうそのようになったか分からない。本宮と奥宮の間に磐長姫命を御祭神として結社が御鎮座している。磐長姫命は瓊瓊杵尊や木花開耶姫を呪詛している。あるいは貴船神社が呪詛を引き受ける神社となったのは、メインの御祭神である高龗神からの経緯ではなく、結社の磐長姫命由来なのかもしれないが、どうであろうか?( 奥宮・本宮が水の神として、龍神への加持祈祷で降雨・止雨の霊験著しく、その霊力の強さゆえ呪詛にも霊験があるというふうに、陰陽道あるいは密教の秘法として派生していった可能性はあるが)
添付写真上の上は、貴船神社奥宮。
添付写真上の下は、能【鉄輪】、DVDパッケージ(シテ;観世喜正、他)
貴船神社本宮において九月九日、「菊花神事」が斎行される。9月9日は「重陽の節句」の日で、それにちなんだ祭典である。重陽の節句は、 年間の五つの節句の年間最後の節句である。いわゆる「五節句」といって中国の暦を参考に5つの節句がある。すなわち人日(じんじつ)(正月7日)・上巳(じょうし;3月3日)・端午(たんご;5月5日)・七夕(しちせき;7月7日)・重陽(ちょうよう;9月9日)である。奇数瑞祥の考えから、奇数数字は陽(ハレ)で 偶数数字は陰(ケ)であるから、9月9日は陽が重なる、すなわち重陽である(他の月も重なるが?)。
この重陽の節句の日、不老長寿の霊花である菊をあしらった祭典が貴船神社の「菊花神事」である。巫女さんは前天冠に菊を挿し、採り物に菊、拝殿にも菊や「菊のきせ綿」を供物にするなど、菊づくし である。巫女さんは上記の姿で 豊栄之舞 を舞われる。昨日の拙ブログで貴船神社と能【鉄輪】について書いた。 現在、「菊花神事」においての祭典は、通例の祭式次第で斎行される。ではその祭式次第が制定される前、特に明治以前の貴船神社においては祭典や祈祷はどうであったか? という興味が涌く。残念ながら浅学ゆえ、明治以前の様式についての資料を持たない。あるいは能【鉄輪】の出来た頃のように、調伏が行われていたか否かは想像の域を出ない。ちなみに巫女による神憑りや託宣が禁止されたのは、明治6年の「巫女禁断令」によってである。裏返して言えば、それまでは巫女は託宣を行っていたということだ。その禁断令以前の巫女の装束はどうであったろうか? 現在では巫女は緋の袴をはく。民俗学者の小松和彦氏が述べておられるが、赤は〈逸脱〉を表す色だという。そう云えば、閻魔大王も鬼も赤い姿で描かれる。巫女の上半身が白で 下が赤は、半分だけ聖で、半分は この世を逸脱した姿なのだ。すなわち半分は神か鬼の世界に浸かっているのだ。貴船川を挟んだ東側の山は、鞍馬である。能だと【鞍馬天狗】に描かれているが、鞍馬寺に幽閉された牛若丸は僧正ヶ谷の天狗から、平家打倒の兵法を授かる。鞍馬には天狗、そして貴船の祭神は鬼国の娘で社人は鬼の子孫という、この一帯は都の北に位置して鬼や天狗の住まう恐ろしい異界であったのだ。 上記において、呪詛は結社の磐長姫命由来の考えでないかと書いた。それとは矛盾するが、祭神とは関係なく、恐ろしい異界に身を籠らせることで怨念を生霊と化して呪詛を成就させるには、この辺りのロケーションだけで充分であったのかもしれない。
添付写真上の上、上の左下;貴船神社「菊花神事」。
添付写真上の右下;能【鞍馬天狗】 の 鞍馬の天狗の名乗り部分。
拙者が稽古使用した宝生流の謡本(内十二巻ノ二)の一部。
重陽の節句の日の貴船神社における『菊花神事』では「被せ綿」が奉じられる。御景物としての「被せ綿(きせわた)」が供物に有るのが珍しい(添付写真上)。御祭典において「被せ綿」は他の御神饌に先立ち献饌時に献じられる。重陽の節句は「九月九日の宴(節会)」において、菊を浮かべた菊酒を賜ったりもするが、宮中においてこの「被せ綿」は一種の呪具として用いられた。呪具は広意において、まじない(呪)の道具という意味である。 書籍『有職故実』をみると、「この綿で顔や、その他の体の部分を拭うと老いを拭い去ることができて、仙境に咲くと云う菊にあやかって、長寿延寿に効能がある」 と記載されている。今で云う、アンチエイジングである。物は違えど、現代でも長寿延寿に効くという眉唾物のサプリメントや道具が出ているが、そのルーツの一つが「被せ綿」である。菊に綿を被せて、その綿を使うのである。
能【 菊慈童 (枕慈童)】という「菊の霊力」が主題の曲が有る。この能の話は・・・霊水が出るという霊山を訪ねた勅使は、何百年も前の王に仕えたという童に出会う。訊ねると、王から賜った言葉を菊の葉に書くと、その葉の露が霊薬となり、それを飲んだ童は700年も若々しく生きながらえた、という能である。能楽だが、この能の舞台は中国である。不老不死の仙境の話であり、この能もそして「被せ綿」も道教の仙道呪術の世界を現している。貴船神社の祭典において、平安時代宮中におけるアンチエイジングの呪具である「被せ綿」が登場するとは、まこと興味深かった。
添付写真上の上、上の中;菊花神事において、「被せ綿」を奉じる。
添付写真上の下;菊の霊力がキーワードの 能【菊慈童】。菊慈童は、観世流。他流派では【枕慈童】。
書籍は『面からたどる能楽百番』(淡交社;三浦裕子、神田佳明 著)