■ 岐阜県恵那市大井町御所の前、 平成30(2018)年7月 撮影
藁で作られた男女の人形には、見事な性器が付けられている。この男女の人形を2.5mくらいの竹の棒に捧げ持ち、少年少女らが一種の念仏歌を唱えながら、集落内をくまなく練り歩いて行く。少年少女らは本来は墨で真っ黒にされていたらしいが、今では「五穀豊穣」などの文字を体に書き入れただけで、真っ黒にされる子はいない。大人の先導者が鉦を叩きながら集落内を行列して行くと、住人らは勢いよく水を行列に掛けまくる。だから墨書きもだんだんと薄くなってくる。文字も見ずらいくらいになった頃、行列は集落外れの川に到着、男女二体の藁人形を川に流す。
つまり、この行事は「虫送り」と「祇園祭り」、それと「雛祭り」「七夕」が習合したような内容である。人形は「虫送り」によく見られるような実盛人形ではない。特定の人物を表さず、男女という性別だけで表現することで、より集落内男女の厄や穢れを強く吸収して、集落の外れである川に悪い霊などを捨てる強い意志を感じる。住人が水を掛けまくることで墨は落ちていくが、墨は穢れであろうから、住人らが積極的に穢れを祓おうと参加している姿勢を示している。行列する子供らは笹を手にするが、出発地点周囲では笹に短冊で願い事を書いて吊るしてあり、まさに「七夕」的であった。七夕も元々は、穢れを流して物忌みに入る節句の行事であった。穢れの憑いた人形を流すとは、「雛祭り」的でもある。
性器を誇示した男女は「豊穣」を意味するから、集落の繁栄、そして農作物の豊穣をも祈念している。水を惜しげもなく掛けるということは、農作物の生育に水が不足しないように、という願いもこもっているのだろう。「豊穣」だけでなく男女は、あるいは成長することなく早世した子供の霊であるかもしれない。祟るかもしれない霊を流す、、、。
このように見ると、御所ノ前の「神送り」は農耕儀礼と祓攘儀礼の二つの側面を持った興味深い行事であると思われる。
上写真3枚;午後1時、阿弥陀堂から行列は出発する。それに先立ち、子供たちは大人から墨書きを体に入れてもらう。 先頭を進む男女の藁人形の男子には立派な男根が。女子の性器は柏餅を藁で包み止めてある。
上写真;家々の穢れを祓うべく、各家の住人が激しく水を男女お藁人形や参列の子供らにかける。
集落の穢れや魔障に障碍(しょうがい=わざわい)が吸着した人形は、集落外れの川(阿木川)に棄て祓われる。