■ 京都市左京区北白川仕伏町、 平成28(2016)年10月2日撮影
北白川天神宮さんの秋季大祭に先立つ一週間前の朝、御神饌献饌の儀が斎行される。お社は天使大明神(天神;てんしん)と唱える少彦名命を御祭神とし、日吉大神・春日大神・八幡大神を合祀している。
この周囲は平安の世には宮廷貴族が多く住んだ風光明媚な土地であるが、神社は同じく白川の久保田宮の前から文明年間(1469〜87)の頃に現在地に奉還されたという。特筆すべきことは、多くの白川石を用いた石工が住んでいたことや、白川女の花を頭上に捧げ持って売り歩く姿のイメージがあることである。石工の名残は結界の石橋に見られるし、白川女の姿は御神饌の頭上運搬の姿からも彷彿できる。むろん御神饌を頭上に御膳持ちするのは神聖な御膳を大切に思う気持ちからで、単に頭上が運びやすいからという単純な理由でないことは明白である。
その頭上運搬される御神饌には特殊で、ここのお社でしか献じられない本膳がある。三つのとんがり形の御神饌がある。通称『高盛御供』という。本体が白っぽいのは、「大根膾(なます)」と云って、大根を細長く削って円錐形に盛り上げる。本体には生姜が貼りついている。本体が茶色っぽいのは「スルメ膾」と云って、スルメを裂いて円錐形に盛り上げてある。もう一基は 「小芋」と云い、小芋を盛り上げて、先端部分にナスを魚のすり身を挟んで乗せてある。
他には 注連縄を巻いた桶に固めた御飯を入れた盛相(もっそう)、洗米、魚として白川豆腐に乗せた飛び魚そしてシイラが供される。もう一基はデザートとも云うべき、茶菓子がある。茶菓子と云っても現代風のお菓子ではなく、柿と栗である。高盛御供は献饌の前夜から北白川伝統文化保存会の人たちが御調製される。完成されるのは、午前5時ころ、、、徹夜の作業とのことである。
これら御神饌が女性4人によって運ばれる。献饌の行列は、宮司さんの修祓の後に結界の注連縄を切り落とされてから午前08時に始まる。献饌後の祭典は、通常の神道様式によって斎行される。
(奉拝・撮影にあたり、お世話になりましてどうもありがとうございました。)