日本!
No.33 伊雑宮 御田植祭、海士潜女神社 大祭

■ 伊雑宮 御田植祭

撮影場所&日;三重県志摩市磯部、平成19(2007)年6月24日
撮影機材;Nikon D80+VR18-200mm

御田植祭の斎行される伊雑宮(いざわのみや)には、「鶴の穂落し」という霊異譚が伝わる。皇大神宮ご鎮座の翌年、稲を白い真鶴が咥えて鳴いていた。倭姫命は、鳥さえも田を作り皇大神に奉ると感激して、そこに摂社を造られた。それが伊雑宮であるが、同じ様な霊異譚は伏見稲荷大社においてもある。餅が白鳥になって飛んで行って山の峰に降りて、そこに稲が生えた。そこに社を設けて祀り、稲生と名付けたのが伏見稲荷大社の始まりだというのである。このように人間を超越した霊力は動物をもって語られることが多く、伊雑宮は稲にウエイトを置いた神社であることが判る。今では漁業関係者の崇敬を集めているというが、、。御田植祭で、『竹取神事』として御料田西側中央に立てられる翳(さしば)に舟が描かれているためか、翳に付いた忌竹を取って船につけると大漁と安全の御守となるというが、この忌竹が船の御守になるとは何だか疑問に思える。
その翳の上部には、丸の中に松竹梅と鶴亀に日月が描かれている。上部のそれら縁起物が描かれた丸は太陽霊の依代であり、下部の船は御船という神の船である。船の上には『太一』と書かれてあるが、太一とは古代中国において「天の中央に鎮座する満天の星々すべての神、すなわち北極星」のことである。この神が北極にあって動じないなら、世界もまた動かず循環しない。そこで太一神は天ノ車(帝車)に乗って宇宙を一年で一巡し五行の気を循環させ世界を統治する。この車とは北斗七星だという。太一は神宮の神事に取り込まれ、内宮の天照大御神と習合、太一の乗り物の北斗は豊受大御神と習合したという。であるなら、翳に描かれた帆掛け舟は太一の乗り物であり、かつ豊受大御神であろうか。さればこそ『竹取神事』で翳が御料田に倒される意味が判ってくる。天照大御神と豊受大御神が御料田に降臨して、田植えの土にパワーを注入するのである。御料田に神々が降臨されるのに、民は何ができるのか。民は神々が降臨される前に、田の土と同化するために、全員が全身泥だらけとなる。あるいはこの泥田で暴れる男衆の姿は、神懸りの憑きモノ状態かもしれない。で、神懸りとなった男衆は翳が倒れて御料田に横倒しになると、翳を持って田を三周廻っていく。これは神々のパワーを御料田の土に注入する儀式であろう。廻す回数の三も、意味深だと思う。三の“サ”は、早乙女や中国地方の田の神のサンバイさんの“サ”と同じで、“サ”は穀霊を意味する。であるから、三周は呪い(まじない)として必要な回数であろう。吉野氏の著書において、千葉県の香取神社の泥祭りについて記載されているが、この祭は陰陽道の法則では「土剋水」の相剋で、土は水に剋つ(洪水防止)の意味だという。泥祭の全てがこの呪術的意味ではないとのことだが、伊雑宮の『竹取神事』も「土剋水」というより、「憑依」の意味であろうと思う。泥田で暴れるのは、牛による代掻きの代わりをなすことも、実質的には考えられる。

翳は東の鳥居に向かい合うように、西に立つ。なぜ西で東ではないかと思ったが、描かれている船は東の伊雑宮に向うように書かれている。立っている方角が問題ではなく、船の進む先が伊雑宮、、ということが大切なのだろう。このようにみると、男衆が忌竹を船の御守としたのは、本来の意味ではないように思える。
尚、御田植祭は平安時代末から鎌倉時代のスタイルと残していると云われる場合もあるが、御田植の時に謡われる謡曲は室町時代末期に成立したものである。田舞「刺鳥差(さいとりさし)」の舞ぶりも、私がこれまで訪れた中では『根知山寺の延年』 に似ているように思えた。すなわち、風流踊りの要素が入っており、江戸時代に現在の形に大きく変わった可能性もあろう。
〔御田植祭の翳については研究者のご報告が多々あるであろう。が、アマ・カメラマンとしての私の感想ということでご了解ください。〕

           《参考文献》
          【大伊奈利】No.172 伏見稲荷大社講務本庁
          【アマテラスの誕生】筑紫申真、講談社学術文庫
          【陰陽道の本】ブックスエソテリカNo.6 学研
          【陰陽五行と日本の民族】吉野裕子、人文書院

◎『竹取神事』


 上左写真;翳(さしば)

◎『御田植神事』

上右写真;おくわかとさいわかによる、田舞「刺鳥差(さいとりさし)」


■ 海士潜女神社 (あまかずきめじんじゃ)大祭

撮影場所&日;三重県鳥羽市国崎、平成19(2007)年7月1日
撮影機材;Nikon D80+SIGMA18-50mmF2.8、Nikon Coolpix L3

垂仁天皇26年の伊勢神宮ご鎮座の後に志摩地方を巡行されていた倭姫命は、国崎の鎧崎で鰒に興味を示された。海女のお弁が潜り、鰒を寄進された。ご賞味されてから、神宮の三節祭(6、12月の月次祭と、10月の神嘗祭)に御饌として供するようにお命じになられたという。お弁は、生では腐りやすいので、熨斗鰒として献納するように奏上した。これが熨斗鰒の起源だという(この話は【日本書紀】ではなく、【倭姫命世記】に記載されているというが、未確認)。 その海女のお弁を祀るのが海女潜女神社で、大祭の7月1日には伊勢神宮から伶人さんや舞姫さんが来社されて舞を奉納される。いかに伊勢神宮と関係が深い神社であるかが、このことからも窺い知れる。現在でも海女の深い崇敬を集めており、参拝してから海に潜ると、眩暈がしないという。
伊勢神宮へ供進される鰒は伊勢神宮ご鎮座以来、国崎の鰒が供されており、熨斗鰒は海女潜女神社の近くの御料鰒調製所で用意される。
一般的にアワビは“鮑”であるが、神宮では【延喜式】に則って“鰒”と記している。

      《参考文献》
     【日本書紀】講談社学術文庫
     【伊勢神宮の謎】高野澄、祥伝社

上左写真;神楽【浦安之舞】、上右写真;左方舞楽【胡飲酒】


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