鬼に関する祭りは、3種類に分類されるという。
「なまはげ」に代表される“まれびと(客神)”の祭りで、鬼を異界から来る神と観念し、鬼の来訪が村を活性化させる。
次は盆の精霊供養と悪霊鎮めを目的とした鬼剣舞などで、鬼が魔を封じる呪術者となる。
そして「おにやらい」などと呼ばれる大晦日や節分などに行なう陰陽道起源の宮中儀礼「追儺」を原型とする鬼追い祭りである。
今回UPしたのは、この「追儺」を原型とした祭りである。それは平安時代以降に「修正会」や「修二会」として寺院行事に取り込まれるが、正月または節分の頃に鬼を退治することで、一年の民と国家隆盛を祈念する行事である。
鬼は災いを起こす魔物であり、穢れである。平安時代、朝廷では陰陽師が方相氏という異形者、一種の鬼、と目に見えない魔障を内裏から追い出す追儺を行なっていた。その魔物を追う方相氏が10世紀の頃から立場が変わり、追われる鬼に転化したのが鬼の始まりという説がある。この鬼を迎え入れる祭りもある。鬼は追われることで自らが穢れを背負っていく。つまり鬼のおかげでケガレがハレになるのであるから、穢れを背負ってくれる鬼は歓迎すべき神だというのだ。かくも民間信仰とは興味深い。
智満寺、念仏寺共に鬼の登場前には乱声がある。これは鬼の登場の演出に絶大な効果がある。鉦、太鼓や法螺貝または棒で板を叩いて出す大音響は、異様な興奮と恐怖を起こさせる。この乱声は、「神威の発動をイメージとして促し、悔過の効果を高める機能を果たす。実際に異界のモノを出現させる乱声も行なわれていた」という。大音響が異界の住人を出現させる登場楽であるというのだ。この乱声は、三遠南信の民俗芸能においても節目として効果的に用いられる。余談ながら、舞楽でも乱声という登場楽がある。
鬼が悪霊から善霊へ、このような鬼の性格の変化や乱声など、三遠南信のお神楽を考える上でも大変に興味深かった。
《参考文献》
【妖怪の本】(ブックスエソテリカ24);学研
【安倍晴明と陰陽道の秘術】;新人物往来社
【能の囃子と演出】高桑いづみ;音楽之友社
■智満寺の鬼払い
撮影場所&日;静岡県島田市千葉、平成19(2007)年1月7日
撮影機材;Nikon D80 +SIGMA18−50mmF2.8
現地情報;駐車場、食堂あり
午後8時頃から天台宗智満寺本堂で、導師による杖棒による床を打つ音が響くようになる。これも一種の乱声である。午後9時頃から僧侶による読経が始まり、やがて参詣者の額に牛王法印を押していく。牛王法印は、元々は牛の胆汁を水に溶き、厄除けとして額に押していた。それが済むと、本堂が真っ暗になり本格的な乱声が鉦・太鼓などで始まる。10分も続いたころ、本堂の木戸左右から鬼があぶりだされる。鬼は本堂前の回廊に立つと、松明を左右に三回振った後に境内に捨てる。
上写真右;牛王法印
■念仏寺陀々堂の鬼走り
撮影場所&日;奈良県五條市大津、平成19(2007)年1月14日
撮影機材;Nikon D80+SIGMA18-50mmF2.8、 D70s+Nikkor AF85mmF1.8D
現地情報;駐車場、屋台あり
毎年1月14日、念仏寺では修正会結願の鬼走り行事がある。19時半、堂内の護摩壇から火が境内の護摩壇に移され、紫灯護摩供が行なわれる。多数の山伏姿の僧侶による勇壮な火の祭りである。それが終わると21時から阿弥陀悔過法会の鬼走りである。
赤、青、茶(父母子)の鬼が、乱声行法に続いて登場する。鬼は本堂前の柱の間を移動しながら、三匹が並ぶのを三回繰り返す。時間にして5〜6分である。鬼の移動時間があるから、撮影可能時間は延べ3分程である。鬼面は文明18(1486)年の旧面が残っているが、現在は昭和36(1961)年作の新面を使っている。旧面の年号から、室町時代には既に鬼走りが行なわれていたことが知られる。
上写真4枚;紫灯護摩供
上写真三枚;鬼走り