天体観測装置としての巨石を「イワクラ」に属させるか、、、多分、現代人が器具として装置を扱う感覚ではなく神憑り(御神体を含む)として巨石を通して神々の世界をみていたであろうと推測し、「イワクラ」で UP 。
岐阜県は「イワクラ」の存在が多い。随時追加UP の予定。
■ 金山巨石群 (岐阜県下呂市金山町岩瀬)
金山巨石群は三つのブロックに分けられる。「岩屋岩陰遺跡巨石群」「線刻のある巨石群」「東の山巨石群」である。それぞれが天体観測装置装置として時季に応じて活用されていたと思われている。
冬至の日の入り、春分の日の入り、秋分の日の入りが観測できる。
3つの巨石で構成されており、冬至をはさんだ120日間は巨石の岩屋の中に太陽の光が差し込むが、夏至の120日間は岩屋に太陽光が差し込まないように巨石の角度が工夫されている。
その光の差し込み状態は冬至の前後60日間でスポット光が岩屋内の一つの石面を照らす。春分の日、秋分の日の前後の一定日時の間も岩屋内に差し込む光の移動を観測できるようになっている。
この遺跡からは縄文時代早期(11500〜7000年前)の遺物が出土している。
巨石群の中には北斗七星を模した刻が入った巨石も存在するが、その状況から「岩屋岩陰遺跡巨石群」が造られたのは紀元前2800年ころの縄文時代中期と推測されている。
上写真4枚;「線刻のある巨石群」
夏至、春分、秋分の日の出が観測できる。
主に4つの巨石から構成されているが、3つは太陽観測に用いられ、一つは北斗星・北斗七星方面に切り込みが向いていることから、星の観測に用いられたと思われている。
夏至のころ、線刻のある巨石などでできた岩屋の内部に光が差し込み、スポット光となる。そのスポット光の状態は巨石に刻まれた線刻に一致する。そしてその時、巨石の真上中央から太陽が昇る。
なお、冬至の日の出を観測するのが「東の山巨石群」で、上記の二ヶ所の巨石群から約500m離れた山頂の巨石である。
金山巨石群は火山が噴火したときの濃飛流紋岩で、巨石が風化浸食されたものなら残留磁化の方向が揃っているはずだが、揃っていないという。ということは各巨石が移動・回転を行っていることを示しているという。
稲作は縄文時代前期(4500〜7000年前)に遡るというが、集団生活を行うようになった人々が栽培や稲作のために暦を知る必要性から、天体観測装置を設定したと考えられるのだ。
■ 笠置山(岐阜県恵那市笠置町、中野方町、中津川市蛭川)
標高1128mの山頂付近には巨石群が存在しているが、そこの巨石群が磐座として祀られている状態には無い。
中腹には巨石の列石が存在し、その一番最下方には俗称「ピラミッド・ストーン」が存在する。
列石の一つには縄文人が雨乞いで「ペトログラフ(古代岩刻文字)」で と記されているという。
上写真3枚;松王寺、白雲寺・寺屋敷跡 と云われる巨石群。俗人は禁足とされていた地で、笠置山を拝する山岳信仰の修行の場であった可能性が考えられる。巨石の間には清水が今も流れ、50センチ四方だが足場も有る事から、何かの行事や祭礼が行われていた可能性がある。南朝の宗良親王あるいはその息子の尹良親王が潜伏していた場所という伝承もある。
上写真2枚;8つの列石が山林に並ぶ。そのなかの一つに「水を我らにと祈る」と読む(?)ペトログラフが刻まれている。確かに雨粒と雨だれみ見えるが、、、。
上写真2枚;8つの列石とは違うブロックに、祭祀遺跡と思われる巨石がある。舟石のように迫り出した巨石の下に、儀礼でも行ったかのようなスペースがみられた。
上写真;ピラミッドストーンと俗称される巨石。鋭くエジプトのピラミッド状に切り取られたような形状だ。ペトログラフがあると云われるが、分からなかった。8つの列石の延長線上に存在するから、何かの指標的役割だった可能性がある。
■ 戸隠神社(岐阜県郡上市和良町宮地)
天照大神が岩屋に御隠れになった場所には 天の岩戸神社(宮崎県高千穂町)が鎮座しており、御隠れになった天照大神を岩屋から出すために手力男命が岩屋の戸が、長野県戸隠の戸隠神社まで飛んで行った。その途中で破片が落ちたのが、この添付写真の戸隠神社の地である。
その破片は重ね岩として祀られている。重ね岩上部の岩は42トンもあるという。境内には大小9つの岩があり、「九頭の宮の磐座」と呼ばれている。