※磐座、磐境、岩屋などの総称を「イワクラ」と表記しました。
■ 兵庫県
破磐神社の元宮である磐座で、三分割に割れた 高さ約6m、巾5.5〜6m、奥行き7.5mの巨石である。
神話的には、神功皇后が放った三つの矢のうちの第三の矢がこの磐に当たり三つに割れた、となっているが石材的には溶結凝灰岩でできている磐が、風化で劣化部分から割れたか昔あった山から転がり落ちた時に割れた可能性が有るという。しかしロマン的には太陽の動きを割れ目で観察するために人為的に整備された古代の装置と思いたい。
われ磐の周辺にも現在は民家が多いが昔は人里から離れた地であり、集落に近かった場所に破磐神社の里宮が創建されたのだろう。
社殿背後の岩山が磐座である。この岩場からは海の貝の化石が出土するらしい。
昔の人は山から貝が出土することが神秘で、神憑りと思われていたのかもしれない。
神社略記によると、大穴牟遅(おおあなむち)と小昆古那(すくなひこな)の二神が天津神の命を受けて国土経営のために出雲の国からこの地に座し給ひし時、二神相謀り国土を鎮めるにふさわしい石の宮殿を造営。ただ反乱神の鎮圧に出かけて戻った時には夜明けとなって宮殿は未完となった。しかし未完といえどもこの石に二神の霊は籠って国土を鎮めると明言され、それ以来 「石乃宝殿」「鎮の石室」と云われるということである。
石の宮殿は約7m四方で、高さは約6m、重量は500〜600トンと云われる人工物である。神社の創建は人皇十代崇神天皇の御世(西暦97年)ということであるが、どのような意識で当時の人が正方形の巨大石神を彫り出したか興味深い。
神の籠る宮殿という事だから、神は天から去来するのではなく、常住していた「形代(神霊を象徴する)」ということだろう。
(兵庫県神戸市神出町東)
雌岡山に、社殿が出来る以前からの古代信仰を彷彿とする神社が鎮座している。裸石神社と姫石神社は直線距離でも50mくらいしか離れていない。
裸石神社に社殿ができたのは大正時代とのことだが、本殿内がガラス越しに御神体を拝することができる。内部には男女の性器の形の御神体が鎮座しているが、比較的新しく見えるのは再製したからだろうか。その周囲にはアワビの殻が敷き詰められているのが異様だ。男女合一による多産祈願かもしれないが、アワビの殻を奉納するとは、アワビの形状を女性器にモドキしたものだろうか。
一方、姫石神社には社殿は無く、磐座が露天に剥き出し状態だ。磐の割れ目具合から女性器を表すとされ、「日女石神」と呼ぶらしい。裸石神社の男根を「日子石神」と呼ぶらしいから、元々は太陽信仰だった可能性が高い。