日本!(雅楽・舞楽)
〔鄙舞楽・地方舞楽〕 No.4 加茂神社稚児舞楽

撮影場所&日;

富山県射水郡下村 加茂神社、平成17(2005)年9月4日(日)

加茂神社は、京都下鴨神社の御祭神である玉依姫命・賀茂建角身命および上賀茂神社の賀茂別雷命の三柱を御祭神としてます。
創建は第70代後冷泉天皇の治暦2(1066)年に現地に勧請され、下鴨神社の御神領・倉垣庄の総社とされています。
舞楽は平安時代に下鴨神社から伝わったとされており、社の創建時に都の神職さんが伶人さんを同道された可能性があります。
秋の例祭で舞われる舞楽は、神慮を慰めることを目的とした、神威亢進(更新)の奉奏です。
舞人(ここでは舞子さん)は、地内から選ばれた四人の10〜11歳の男子で、当日は朝から潔斎して午後1時〜2時に町内をお披露目で練行します。舞は神社に戻って神事後の午後2時からです。町内練行には、舞子たるお稚児さんは稚児担ぎの肩車に乗せられて運ばれ、舞の終了まで地面に足を着けません。静岡県森町の十二段舞楽における神幸祭では、やはりお稚児さんは肩車されて“神の子”として丁重に扱われます。森町の稚児担ぎと異なるのは、ここでは「練行」として町内を運ばれることでしょう。私はこれは単なる稚児さんのお披露目ではない、と考えてます。装束に身を包んで化粧をした稚児が町内を行く・・・町民を華やいだ雰囲気にさせることは、気が涸れる(気涸れ=穢れ)を祓って活性化させ、ハレやかな気分にさせます。稚児は町内を循環して、民衆の穢れを吸収して神社に帰ってきます。そして本殿に参着後に「修祓の儀」や「祝詞奏上」が斎行されますが、これは町民から吸収してきた穢れを本殿で祓い清めているのでしょう。神社の例祭自体の修祓などが舞楽の演目の六番と七番の間に挟まれているのに、舞の前にも修祓の儀が有ること自体が町内練行とは単なるお披露目でないことを示唆してるように私は考えてますが、どうでしょうか。練行から参着後に修祓で清められた稚児さんは穢れ無き身で、いよいよ舞楽の奉奏です。
舞楽は全九曲を四人の稚児さんが舞うのですから、殆ど出ずっぱりです。多くの民衆の前で舞う心理的・体力的重圧に耐えて、ホント良く頑張ったネと祝福する気持ちになります。
舞楽は曲名に中央の舞楽と同一、あるいはその名残のある名前だったりします。または里神楽的な曲もあり、長い年月の間にこの地方に溶け込み変化したかと思えば、民衆と共にある優しい舞楽の姿が浮かび上がってきます。

《参考資料》下村教育委員会発行のパンフレット、および下村HP


【練行】
上左は、本殿での「修祓の儀」  上右は町内の正覚寺前にて
下左右は、町内にて。稚児は町内四箇所の「御小休み所(おこやすみところ)」で休憩を取りながら、延べ2Km程を行く。


左【鉾の舞】 右【林歌】
「鉾の舞」は、中央の舞楽の「振鉾」に相当します。よくその面影を残してます。
右の「林歌は中央の舞楽に同名の曲がありますが、装束も舞の型も異なります。同曲がディフォルメされたか、あるいは創作された曲に林歌の曲名が当て嵌められたかでしょう。


左【小奈曽利】  右【大奈曽利】
舞楽の【納曽利】で、左右共に双龍舞ですが、左は直面(ひためん)です。右は面舞ですが、面は般若系で舞ってます。


左【賀古の舞】   右【天の舞】
左は太刀を佩き、弓矢で悪霊調伏の舞です。神道行法の憑き物落しの呪法に、「蟇目の法」という鳴弓法があります。このような舞は、コンテンツ『お神楽〜駒ケ岳神社太々神楽の“神代御弓舞”』がUPしてありますので、ご参照下さい。


左右【胡蝶の舞】
舞楽の【胡蝶】の面影を強く残した可憐な舞です。


左【蛭子の舞】  右【陪臚】
左は大漁・収穫豊穣の予祝舞で、里神楽的な舞です。同様な舞は、コンテンツ『お神楽〜徳山神楽&表門太々神楽』にUPしてあります。右は舞楽の【陪臚】の面影強い、同名曲です。


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