日本!(雅楽・舞楽)
No.17 薬師寺『花会式』、住吉大社『松苗神事』

■薬師寺 『花会式(修二会)』

撮影場所&日;奈良市西ノ京薬師寺、平成19(2007)年4月1日
撮影機材;Nikon D70s+SIGMA10-20mm、D80+VR18-200mm

 

薬師寺『花会式(修二会)』の三日目、金堂前において舞楽が南都楽所により奉舞された。国家安穏・万民豊楽を祈念する花会式は薬師寺において旧暦の二月末に行なわれていたが、新暦に直して現在は3月30日から4月5日に行なわれている。この法要の名前は、十種の造花がご宝前に供えられることから、このように呼ばれる。法要は奈良時代から続いているが、現在の形になったのは嘉永2(1107)年に堀河天皇が皇后の病気平癒を薬師如来に祈願して回復して以来、皇后が造花を感謝で供えてからだという。午後1時、回廊を道楽にあわせて伶人さんらが道行で舞台を経て金堂に参詣される。舞楽は【振鉾】【胡蝶】と【蘭陵王】が奉舞された。同時進行で金堂内では「薬師悔過法要」が行なわれており、その朗々として時には絶叫するような「南都声明」の読経の声が雅楽の調べに重なり、寺院における独特の雰囲気に包まれた舞楽は、誠に荘厳であった。

上写真【胡蝶】

上左右写真【蘭陵王】


■住吉大社 『松苗神事』

撮影場所&日:大阪市住吉区住吉大社、平成19(2007)年4月3日
撮影機材;Nikon D80+VR18-200mm

 

能に【高砂】という名曲がある。ワキ(阿蘇の神官)が播州高砂で出合った老夫婦に、高砂と住吉の松がなぜ相生の松なのかと尋ねる。老夫婦は、姥は高砂で尉は住吉の者で、離れていても心は通うと述べ、松のめでたさと御世を寿ぎ、消えていく。老夫婦は松の精だったのだ。ワキが舟で住吉に渡ると、住吉明神が顕現して千秋楽を祝って神舞を舞う。
上記が、能【高砂】のストーリーであるが、この『松苗神事』に関して多くを示唆する内容であろう。
『松苗神事』は、江戸時代に住吉の松が次々と枯渇したので、句を読んで苗を植えたことが祭りの始まりだという。松苗神事は江戸時代に始まった神事ながら、住吉の松は室町時代の能楽【高砂】において、松=住吉明神として描かれているように、その聖性は著しかった。松は年中緑を保ち、その永続性は永遠性のシンボルとなっているが、神樹の代表であることは住吉大社の場合だけではない。住吉の松と高砂の松が、能【高砂】において夫婦として描かれるのは、松の葉は朽ちても二本一緒であることから、夫婦和合の象徴でもあった。高砂と住吉という物理的距離の隔たりは、精神的な隔たりの障害にはならないということだろう。そのようなストーリー性を含んだ松は、神社においては神の降臨する依代であるが故、「松=神待つ」樹となる。神の依代でありながら、松自体が神の姿となっていくのが能【高砂】である。『松苗神事』における巫女は、松の飾りの前天冠をつけて神を招き饗応する神楽を舞う。あるいは巫女が松の精そのものか。
能【高砂】で、後シテ(住吉明神)が謡う、、、「げに様々の舞姫の。声も澄むなり住の江の。松影も映るなる〜()」、、、後シテの神舞の姿は、松苗神事における巫女の舞う姿に重なって見える。
第一本宮前において、巫女による白拍子舞と熊野舞が奉舞された。この神事は、能楽ファンにとっても奉拝させて頂きたい祭であろう。
  ≪引用≫(宝生流 謡本【高砂】P.22(昭和60年2月版)

上写真【白拍子舞】

上写真3枚【熊野舞】


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