撮影場所&日;宮崎県東臼杵郡北浦町歌糸 11月2日、高千穂町周囲の記紀伝承地を巡り、当日も国民宿舎・高千穂荘に宿泊予定でした。しかしロビーに置かれた、『速報観光みやざき』という小冊子で、北浦町というところで当夜にお神楽があることを知り、企画観光課にTELでいろいろ教えて頂き、急に予定を変更して行くことにした。五瀬川に沿って山を下り、延岡市から北東へ、高千穂町から約2時間で北浦町に着いた。 《乱闘神楽》 左右とも【弐番戸取り】
2004年11月2、3日
北浦町は海の幸豊富な漁港や海水浴場を有する、美しい海と山の町であった。
北浦町三川内には古文書によると、江戸時代中後期には既にお神楽が奉納されていたようである。
歌糸、下塚、梅木、大井に市尾内の五地区であるが、『岩戸開き』をおりこむ演目や芸態、舞座の作りは殆ど同じで、総称して【三川内神楽】と呼んでいる。
私が撮影したのは、港から車で15分も入った山間部の歌糸集落の神楽である。当夜は午後7時半頃から、翌朝4時くらいまで16番が奉納された。
本《宮崎の神楽》の分類を参考にするなら三川内神楽は、神楽分布圏では高千穂系、生産形態では五穀豊穣感謝の焼畑狩猟神楽圏、時間区分では半夜神楽、ということになろうか。。実際には舞いに舟の図柄の羽織を着た舞人もおり、漁労感謝の意味合いもあると思われる。
舞座は拝殿の板敷きの八畳程の面積であるが、その両脇には畳を敷いた見物人の席が設けられていた。
驚いたのは、午前2時くらいからの舞であるが、見物人が悪態を飛ばすと、いきなり舞人にからんでタックルしていったことである。てっきり振る舞い酒に酔った酔客の悪ふざけと思っていたが、誰も咎める様子がない。。そればかりが、舞によっては舞人を皆で押し倒してプロレス技を掛けたり投げ飛ばしたりと、さんざんの乱闘になった(汗)。こちらとしては焦るばかりで、眠気と闘いながら拝見していて、何がなんだか判らなくなってしまった。。今でも判らないけど(苦笑)。まさに“乱闘神楽!”
全般的に、舞は力強く歯切れ良くきびきびとして、ダイナミックである。わざわざ高千穂から足を延ばした甲斐があった。
ぜひまた拝見したいお神楽です。
【参考文献】《宮崎の神楽》山口保明著;みやざき文庫¥1,900+税