撮影場所&日;愛知県北設楽郡東栄町、平成16(2004)年11月〜平成17年3月
花祭は氏神様の祭祀ではなく、中心的神格は『みるめ・きるめの王子』だという。今日的に多くの神社での例祭では、御祭神の神威の亢進と神徳感謝を主目的として斎行されます。が、花祭では中心的神格の『みるめ・きるめの王子』の神威亢進でない点からすると、神社での例祭や五穀豊穣の予祝目的の里神楽とは性格が異なるのだということを念頭に置きたいです。その『みるめ・きるめの王子』は熊野九十九王子に由来するらしいですが、〔霜月神楽の祝祭学〕の著者の井上氏は、「花祭においては文字通り『見る目』『切る目』だと考えている」と述べられてらっしゃいます。私は平成17年1月の古戸において、舞の前の神事を奉拝・撮影したが、神部屋において『神寄せ』といって花祭の中心的司霊者たる花太夫共々、祭祀者のみょうど各人が、祭の間の守護霊として『きるめの王子』を勧請して自らに憑けていくのです。神々を勧請する祭場ですから、中には邪霊も混じっていて、それらが憑き物になっては大変ですから、呪的に守護神を必要とするのです。
花祭において、舞は井上氏によると舞の型や舞筋においてだけでなく舞の演目の順番においても、舞庭(まいど)という舞の物理的空間だけでなく神的空間を空間分節し構築しながら、秩序ある祝祭空間を構造化しているということです。
花祭の舞は青少年の素顔の舞でも呪術性が深く、それらは舞の型も美しいです。そして面形の舞では多くの面舞が登場しますが、花祭のイメージとして定着してるのは何と言っても《鬼》でしょう。花祭での《鬼》は、修正会などの悪鬼として穢れの象徴として追われる鬼ではなく、その鬼の圧倒的パワーであらゆる魔障を退ける鬼です。私は昨期(平成16年11月〜平成17年3月)の東栄町で行なわれる花祭、11箇所のうち10箇所に出かけて撮影し、それらはコンテンツ【お神楽〜No.4、5、6、9】に、花祭(1)〜(4)としてUPしてあります。写真の内容は舞の前の神事、舞、そして舞の後の鎮めの神事までの各写真ですが、今回は《鬼》の写真だけ、各集落の花祭からピックアップしてUPしました。河内とバッティングした足込と、舞の後の神事狙いで訪れた下粟代のみ含まれてませんが、、。
さて、その鬼は《山見(山割)鬼》《榊鬼》《茂吉(朝)鬼》に大別できるかと思いますが、それぞれの鬼の役割分担は異なっています。やはり井上氏の著書を参考にして簡単に記述します。
《山見(山割)鬼》は、舞処の鬼門に仁王立ちして裏鬼門を睨み(見る目)つけます。これは御園の祭文によると、『みるめ・きるめ』を睨むとあり、睨むことで花祭の中心的神格の『みるめ・きるめの王子』を祭場の守護神とする儀礼的所作だそうです。そして、鉞で山を割るとは、鉞で釜を割る所作をいいますが、釜とは山の象徴だそうです。四方を注連と榊で結界し、天上には神道(かみみち)と湯蓋で荘厳された聖域の象徴が山たる釜で、そこに鉞を振ることで祭場に侵入する魔障を退けて祭場を聖化するのが《山見鬼》だそうである。
《榊鬼》の所作で特筆するのは、現地で“へんべ”と呼ぶ“反閇(へんばい)”を踏むことです。安倍晴明など陰陽師でも有名な呪的運歩です。この“反閇”には『盤古大王・堅牢地神』という大地の神である土公神と密接な関係のある地神がキーワードになるようです。
《榊鬼》は、自らの身に『盤古大王・堅牢地神』の神威を重ね合わせ、大地を踏みしめる“反閇”を踏んで祭場に潜む魔障を駆逐していく、、。
このように《山見鬼》《榊鬼》は、『みるめ・きるめの王子』『盤古大王・堅牢地神』という神々の呪力を自らに憑けて強烈なパワーでもって、悪霊・邪霊など魔障を鎮圧していくのが花祭の鬼なのです。
私は写真が趣味で撮影してますが、民俗学も素人ですから、花祭の解釈や上記の文も参考にさせて頂きました井上氏の著書の真意とは離れた箇所もあろうと思います。ぜひ詳しくは本をご参照下さいますように。
下記に参考文献を記載しましたが、私が持っている花祭関連の本というだけで、多くの書物や民俗学発表が有ることは申すまでもありません。
《参考文献》
【霜月神楽の祝祭学】井上隆弘、岩田書院
【花祭論】愛知大学綜合郷土研究所編、岩田書院
【奥三河の花祭】中村茂子、岩田書院
【花祭】早川孝太郎、岩崎美術社
【花祭りのむら】須藤功、福音館書店
【東栄町誌〜芸能芸能編】東栄町誌編集委員会
【日本の祭No.23 花祭】朝日新聞社
【神々の里の形】味岡伸太郎、山本宏務、グラフィック社
上左;小林の《村栗龍王》:小林のみの独特な鬼が登場する。小林には「山を割る」古い所作が残っているという。
上右;御園の《榊鬼》:舞子が拍子に合わせて松明をかざしている。
上左;東薗目の《榊鬼》
上右;月の《榊鬼》
上左;河内の《大国主命の伴鬼》
上右;中設楽の《猿田彦命》と宇豆女
河内と中設楽は、明治の廃仏毀釈の時、神道色を強くして古事記・日本書紀の神々の世界を取り入れた。オロチ退治が有るのも、“神道花”の特徴であろう。豊根村の花祭では、坂宇場と間黒が“神道花”だそうである。
上左;中在家の《山割鬼》
上右;古戸の《山見鬼》
《山見鬼》を《山割鬼》と呼ぶのは、月、中在家と下粟代である。小林と布川では、《山鬼》という。山を割る所作の写真です。
上左;古戸の《茂吉鬼》:鬼好きな中原茂吉さんが、鬼面で舞ったのが最初という。
上右;上右;布川の《榊鬼》
願主の家に榊鬼が出張して祈祷をすることがある。
適切な表現が無いが、祈祷とはあるいは正確ではないかもしれない。願主の家で榊鬼は五方を睥睨しながら舞い、“反閇(へんばい)”を踏む。そして願主の背を踏む。踏まれることで、体の悪い部分が直るという。また家内安全・繁栄をも榊鬼の大きな呪力で達成されるという。呪術・呪法と言った方が適切かもしれないが、このような民間信仰と民間芸能が一体となった風習が残っているのは、大変に驚くことである。
(写真は、平成18年の月で撮影)