撮影場所&日;平成18(2006)年12月23日、長野県飯田市南信濃大町、遠山天満宮
撮影機材;Nikon D70s&D80、SIGMA 10-20mm&18−50mm、VR18-200mm
『遠山まつり』という本がある。昭和31年の発行だから、写真はおそらく昭和20年代に撮影されたのだろう。狭い急斜面にへばり付くようにしゃがんで畑を耕す姿や、断崖絶壁の人が一人やっと歩ける路を通っての通学風景など、胸を打つ。さりとて森林鉄道も現役であった頃だから、林業はそれなりに盛況だったのだろう。祭の時期が近づいてくると、どこからともなく聞こえてくるお囃子を稽古する調べに、それまでに翌年用の漬物付けを終わらせようとする主婦の姿など、祭が一年のサイクルの節目であることが分かる。
やがては森林鉄道も廃止され、遠山郷も過疎と少子化で大町も祭りの存続さえ危ぶまれてきた。大町では現在、一般参加者も面舞や湯立てにも参加できる“体験型”に変容しており、これも保存の方法であろう。なれどやはり現地の人の、血と肉と魂に滲み込んだ溢れ出るパワーの舞は見事であり、そのギャップが少々辛い。
和田では釜の四隅の角で、対角線を描くように立ってから舞が始まる。四隅の内、一箇所のみ御幣が二本立っており、何であるか仲間と話し合った。帰宅後に、バイブル本の『霜月神楽の祝祭学』を見たら、ラインマーカーで線が引いてあったのに、忘れていた(汗)。つまり和田では祭場の方位の基準とされているのが西方であり、「八将神御幣」が西隅のみ2本立てられるのだという。この角は「天上」と呼ばれ、舞において主座の禰宜の立位置となる。この西から神を迎え、神が返される。西の重要性は、最後の神事舞においても西で始まり、釜の周囲を一巡にて西に戻ることからも判る。金剣の舞で、“ひいな”を切った後も帰らぬ神々を追い出すために、西に立って東に剣を振り下ろす。この時、事前に東隅に立っていた私は急いで退かされた。なんでも剣が振り下ろされる先に居ると、命を落とすそうだ。かす舞では、名残惜しげに残る神々に、残っていても御馳走はもうカスしか無い、と大根の摩り下ろしやオカラを撒く。このような祭の最後の神事は、花祭との共通性があって興味深いものである。
《参考文献》
現地配布パンフレット(保存会・奉賛会)
『遠山まつり』長野県教育委員会
『霜月神楽の祝祭学』井上隆弘(岩田書院)
上左写真;婆 上右;猿
■神送り
上左写真;かす舞、 上右;金剣の舞