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No. K-1-12 作曲家リヒャルト・ワーグナー ,マティルデ・ヴェーゼンドンク、「トリスタンとイゾルデ」 2016年撮影
Nr.K-1-12 Der Komponist Richard Wagner mit Mathilde Wesendonck「 Tristan und Isolde 」 Photo im Jahre 2016


■ ボン市 ( Bonn , Nordrhein-Westfalen )の マティルデ・ヴェーゼンドンク
  ( Mathilde Wesendonck )  2016年4月29日 撮影

マティルデ嬢との出会いなどは、拙HPの「チューリッヒ」に年表で記載してあるのでご参照ください
マチルデは詩人的な才女であった。リヒャルト・ワーグナーの妻のミンナが保守的な伝統重視の曲作りと安定した生活を求めたのに対して、マティルデは漸進的な芸術を理解する才媛であった。もっともマティルデは絹貿易で財を成した夫オットーの妻という安定した立場からの鑑賞であるから、芸術において冒険することが己の経済的生活の冒険ではワーグナーと知り合った当初は無かったはずである。ヴェーゼンドンク家がワーグナーのパトロン的立場という経済援助を行っていたが、やがてマティルデとワーグナーは禁断の世界に踏み込んでいく。ワーグナーは当初は経済援助のお礼としてマティルデの音楽の先生のような立場であったようだが、ワーグナーはマティルデの才女にして若い美人に魅かれ、一方のマティルデも仕事一辺倒だった夫とは違う芸術の世界に生きるワーグナーに魅かれていった。
ワーグナーはヴェーゼンドンク家と知り合った頃に既に「トリスタンとイゾルデ」の構想は持っていたようであるが、マティルデとの出会いと禁断の恋に燃えていく中で、相乗的に究極の愛が死によって達成されるという曲の作曲に集中するようになった。ワーグナーが台本の朗読を行った時、マティルデは 死んでしまいたい 程の陶酔に陥ったようで、そのことはワーグナーの狙い通りであったのだろう。せっせと曲を作ってはマティルデに披露するあたり、下賤な表現で云えば「エエ格好しい」だったのだろう。トリスタンとイゾルデのように自己破滅で禁断の愛の成就を、はたしてどこまでワーグナーが望んでいたか疑問だが、その禁断の愛の成就一歩手前で夫オットー氏に露見したマティルデは簡単にワーグナーを捨てている。ワーグナー自身も、そのことを知るとマティルデを諦めているから、案外と淡白なのか大人なのか、そんな関係であった。マティルデとの恋の破局後に、「トリスタンとイゾルデ」は完成しているが、その時に傍らに居た女性は指揮者ハンス・ビューローの妻コジマであった。
マティルデもオットーも、ワーグナーのパトロン関係を御破算後も友好としての関係は続き、バイロイト音楽祭にも駆けつけたりしている。
ともあれこの世に存在する究極の法悦の曲である「トリスタンとイゾルデ」は、マティルデとの出会い無くしては有り得なかったと想定することもできよう。ワーグナー・ヲタの私としてはマティルデの残された肖像画の美しい姿に惚れ惚れすると同時に、そのエピソードや存在されたことに感謝の気持ちで一杯である。スイスのチューリッヒには、ワーグナーが借りていた別荘の横にヴェーゼンドンク邸が現存している。訪問したが、それでもマティルデが実在した実感は薄かった。なれど今回、ボンのAlter Friedhof でマティルデとオットーの墓を参詣して墓石に刻まれた名前を認め、事実だったんだ と変な感慨で胸が篤くなった。
住居跡地に建つ建物の壁面には「 Mathilde Wesendonck , Dichterin (詩人) 」というプレートが付いていた。何年にここに住まいしたかは表示なく、不明である。

上写真;スマホにマティルデの肖像画を写して持参した。1850年の画だから、マティルデ22歳の時の肖像画だ。気品ある美人だ(「サントリー音楽文化展1992 ワーグナー」P.56より)。
ボン市の旧墓地のヴェーゼンドンク家墓所前にて。

上写真;ボン市の Alter Friedhof(旧墓地) にて。
HIER RUHEN (ここに眠る)と大きく書かれた墓石。マティルデの家族の眠る墓所である。中央にハンス。1862年チューリッヒ生まれで、没年は1882年 ボンにて。僅か20歳で没した息子。その下にミィルハで1851年8月7日にチューリッヒに生まれ、1888年7月20日にミュンヒェンで没した御嬢さん。その右側にマティルデ、左側にオットーが眠る。マティルデは1828年12月23日にエルバーフェルトで生まれ、1902年8月31日にオーストリアのトラウンブリックで没している。オットーはマティルデと同じ町で1815年3月10日に生まれ、1896年11月18日にベルリンで没している。

ボン中央駅の西方、その名前も「ヴェーゼンドンク通り」と「リヒャルト・ワーグナー通り」の交差点角に、マティルデがボンにて在住した場所がある。

住居壁面にはマティルデの名前に続いて「Dichterin (詩人)」と表記されている。


■ リヒャルト・ワーグナー作曲『 トリスタンとイゾルデ 』
  2016年5月1日 ハンブルク国立歌劇場 にて鑑賞。

RICHARD WAGNER 【 Tristan und Isolde 】

Musikalische Leitung; Kent Nagano
Regie ;Ruth Berghaus
Tristan; Stephen Gould
Marke; Wilhelm Schwinghammer
Isolde; Ricarda Merbeth
Kurwenal; Werner van Mechelen
Melot; Juergen Sacher
Brangaene; Lioba Braun
Ein Hirt; Daniel Todd
Ein Steuermann; Zak Kariithi

Philharmoniker Hamburg
Chor der Hamburgischen Staatsoper

開場 16時20分、
第一幕;17時00分〜18時23分、第二幕;18時53分〜20時13分
第三幕;20時53分〜22時04分

1857年9月、ワーグナーは『トリスタンとイゾルデ』の台本が完成すると、それをマティルデ・ヴェーゼンドンクに捧げた。元々持っていた構想の曲にインスピレーションを与えるキッカケとなったマティルデの存在は、この曲の成立過程を考えるに最も重要な女性である。その女性のボンにおける住居跡や墓地を参詣する考えは、昨年(2015年)のGWにチューリッヒへヴェーゼンドンク邸を訊ねてから持っていた。それが今回の撮影旅行において撮影の中継地点であるハンブルクにおいて、この曲が聴けるということが分かった時、ヴェーゼンドンク家墓所などを訪問後に聴けるということに、何か運命的なものを感じた。

ハンブルク国立歌劇場の開場は16時20分。一応ホテルでネクタイを付けて(写真左)、ホテルを16時05分に出て徒歩で向かった。歌劇場に着いたのは16時半であった。
ホールはドレスコードの紳士淑女であふれ、ネクタイをつけて行ったことに安堵した。もしジーンズ姿だったら、かなり肩身が狭いというか恥ずかしい思いをしただろう。
演奏は上記したように、40分間の休憩を2回挟んで17時00分から22時04分まで続いた。

今回の指揮者は日系アメリカ人でドイツで多くのオペラを振って定評のある、ケント・ナガノ氏である。トリスタンは最近のバイロイトでも歌う、現在最高のトリスタン歌手のシュテフェン・ゴールド氏など錚々たるメンバーが名を連ねた。
舞台演出が奇抜である。イゾルデがマルケ王の元に“船”で連れられてくるのだが、それが宇宙船なのだ。海は宇宙に置き換わり、つまりコーンウォ―ルは他の惑星間での話ということになっているのだ。宇宙船の背後では、巨大な星が左から右へ動いて時間と空間移動を現していたりする。ここまでやるか?っていう奇抜な舞台で、マティルデが観たらどう思うだろう とか思えていた。が、それも最初だけ。こんな世界もありかなって思えてくるのだ。中世だろうが未来だろうが、愛の感情に合理的解決は無いであろうことを暗示している。大きく舞台装置を観れば共感できる点もあるのだが、しかし肝心な点では疑問が残った。媚薬をイゾルデは飲んだようにも飲まないようにも見え少々不明だったが、トリスタンは明らかに飲まなかった。イゾルデを愛したのが媚薬のせい、という訳でないのだろうが、その点が結論にどう影響するか観ていたが、あまり影響が無いように思えた。それとか第二幕第三場、トリスタンはメロートに切られたように見えなかった。第三幕第三場、クルヴェナールはメロートを殺すこともなく、クルヴェナールもメロートも舞台で息絶える。マルケ王やブランゲーネは知らない内に舞台裏に引っ込む。そして愛の死をイゾルデが歌っている間に幕が下り、イゾルデだけが歌いながら幕に書かれた惑星を抱きしめる姿で絶え入るように全曲が終わった。全ての諍いや妄執と愛、あるいは生も全てが避けられない死によって包括されることによる融合で終わるという結論なのだろうか。死が全ての決着点であるという意味の前では、確かに媚薬を飲む飲まないは些細な点なのだろう。残念だったのは、一番の聴きどころの第二幕第二場の「夜の賛歌・愛の二重唱」が宇宙ステーションの柱にもたれかかって、お互いが背を向けたまま歌われたことだ。ここはしっかり抱擁してねっとり歌って欲しかったが、案外と淡白であった。歌唱は素晴らしかったのだが。
ともあれ、かなり読み替えられた舞台であったが、素晴らしい演奏で楽しめた。ホールの音響も素晴らしく、さすが本場である。イゾルデによる「愛の死」もオケに負けて聴こえないということもなく、美しく響いた。この歌手、チャーミングな声をしていた。

上写真;舞台パンフレットにチケットなど。

上写真;Hamburgische Staatsoper (ハンブルク国立歌劇場)建物外観。

上写真;地下ロビーへ。

上写真;幕間の休憩時間の二階ロビー。40分の休憩の間、飲食しながら歓談している。

上写真;客席内 (演奏中は撮影せず)。


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