ドイツ語圏

No.K-3 作曲家 (アイゼナッハ、ライプツィヒ)2014・2015年
Nr.K-3 Der Komponist in Eisenach und Leipzig im Jahre 2014 und 2015.


■J・S・バッハ 1685年3月31日―1750年7月28日 撮影= Eisenach 、アイゼナッハ
 Johann Sebastian Bach

Eisenach は DB (Deutsche Bahn) の駅に「Geburtsstadt」と表示されるほど、J・S・バッハ生誕の地として有名である。

生誕の家は現在は建て替わっており現存しないので、その辺りと思われる路地を撮影した(上から3枚目写真)。なお銅像の立っているフラウエン広場の横には「バッハ博物館」があるが、そこは幼少の頃に過した家ということである(上1枚目と2枚目写真)。


■メンデルスゾーン 1809年2月3日 - 1847年11月4日日 撮影= Leipzig 、ライプツィヒ
 Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy

メンデルスゾーン作曲の序曲「フィンガルの洞窟」、交響曲第三番「スコットランド」は、拙者がクラシック音楽を聴き始めた当初の1970年代前半期に買ったLP だ。指揮者はカラヤン。流麗で抒情的なメロディーを哀愁たっぷりに美しく指揮するのは、カラヤンならではであった。

ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団の本拠地であるホールから直線距離で約300mという近くに、メンデルスゾーンが住みそして死去した家が残っている。1835年にゲバントハウス管弦楽団の指揮者に就任しているから、ホールが当時もその場所であったなら、極めて職場に近い所に住居を定めていたということになる。メンデルスゾーンのライプツィヒとの結びつきは深い。前記したように当地のオーケストラの指揮者になっていただけでなく、ライプツィヒの音楽の発展のために1843年にはライプツィヒ音楽院(現フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプツィヒ)を開院している。死去は添付写真の家で没している。現在はメンデルスゾーン博物館として公開されており、ニ階への階段は1844年の建築当時のままだという。1845〜1847年に暮らした住居は、当時のままが忠実に再現されている。そしてデスマスクや遺髪も展示されている。デスマスクというのは即物的で抵抗感があるが、3Dで実物大のお顔を知るのには参考になる。


■ハインリッヒ・マルシュナー 1795年8月16日―1861年12月14日
 Heinrich August Marschner

銘板には
「1827−1828 (中略) Heinrich Marschner
Hier vollendete er seine Oper Der Vampyr 」
と書かれていた。オペラ「吸血鬼」を完成させた家ということになる。


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