■ドイツ語圏No.4の続き ⇒ オーストリアVol.1(1977年)
上3枚;鉄鉱の露天掘りがある鉱山へ、前後に機関車を付けて牽引するVORDERNBERG MARKTへ寄った。8月14〜16日の3日間の予定だったが土日に当たったため、貨物列車は運休だった。運休は蒸気機関車の貨物列車だけでなく、旅客のディーゼルカーも部分運休となった。やることが無いのでヒッチハイクをしてGraz のKaefraher bahn へ行ったが工場線ゆえ、ここも動いているカマは居なかった。待ちに待った3日目の朝、宿泊のGasthof を抜け出し、朝一番の貨物列車を撮影した。盛大に煙を噴き上げゆっくりとラック区間を登ってきた。昼の貨物は気温が高くなり、煙は紫煙程度。その日は2往復で終了。もう一日滞在を伸ばして、翌日の朝の列車は濃霧の中で撮影したが、その日は一往復だけだった。
上写真3枚;オーストリアの田舎町であるJENBACH からは、蒸気機関車の走る線が2本出ている。No.4 に UP した ILLERTAL BAHN と、この写真の ACHENSEE BAHN である。この路線、4kmの距離を走る間に440mの高低差を登らなくてはならない、ラック線による登山鉄道だ。教会が脇に建つEBEN で、機関車は後ろから前に付け替えられる。
■スイス
上;スイスらしい風景のLUNGERN 駅で降りて、撮影。メーターゲージ線である。
上写真4枚;ブリエンツ湖湖畔から出る登山鉄道の、BRIENZER ROTHORN BAHN 。雄大な景色が楽しめるはずだが、あいにく霧の多い天気だった。山岳線を写そうと思うなら、一週間くらいは滞在して好天を狙うしかないだろう。
一か月半の一人旅、東ドイツやオーストリア滞在中など、10日間以上も日本人に会うことの無い旅だった。長いようで欲張ってあちこち飛び回ったわりに、振り返ると思ったほど撮れず惜しい思いがする。しかし私にとって原点の、海外蒸気機関車撮影の旅である。大学二年の私の渡航を羽田まで見送りと迎えにわざわざ来てくれた、両親や妹の姿を思い出す。1ドル360円時代で、冒険だったのだ。感謝。