ドイツ語圏(鉄道)

No.37

 レスニッツグルント鉄道 2017年

Nr.37

 Die Lösnitzgrundbahn im Jahre 2017


■ 2017年02月10日 撮影、 Radebeul Ost , Sachsen

第11次 訪独撮影では、ドイツに到着した日にDresden 近郊の Radebeul Ost まで移動してDie Lösnitzgrundbahn のナロー蒸機を撮影した。ただし現地滞在時間は僅か3時間。なれどその間に4本の蒸機列車を撮影することができた。観光用ではなく、日常の足として蒸気機関車が毎日運用に使われているから列車が多いのである。第11次訪独撮影の主目的はEisenach での Rodelblitz の撮影で、現地滞在も短い。到着日には Rodelblitz の運転が無く、一日空いたので 日常的に走っているDresden 近郊の Radebeul Ost へ向かったのである。Eisenach から Dresden へのルートは、両方の町にも所縁のリヒャルト・ワーグナーも辿ったルートである。ワーグナーも見たであろう風景を車窓に眺めながらの移動である。この Die Lösnitzgrundbahn を訪れるのは、1977年、2014年 そして今回と3回目である。

社会主義体制時代の東ドイツだった当地へ訪問した時には、無事に西側に戻れるか不安一杯の訪問だった。そして2014年に37年ぶりに訪れた時にはハードル感も有った。しかし今回はハードル感も無くお手軽感で、自分の中の意識の持ち様の変化に驚く。 1977年にはフランクフルトから夜行列車で移動中に東西ドイツの国境を越える緊張感が半端なかった。寝台車の同室だった西ドイツ人は徹底的に手荷物検査をされていたのを見て、ビビったものだ。(ただ私は簡単な質問をされただけだったが)2014年には37年ぶりの訪問ということで、1977年の大学生時代からの時間の流れが意識の中で凝縮されて翻ったものだった。2014年から現在までの時間の流れでは、我が子が社会人になったくらいの変化しかないので、感傷に浸ることもなかった。ただし現場は少々変わっていた。2014年には工事中だった駅横のスーパーが営業を行っており、駅横の駐車場までカートで商品を運ぶ現地人の姿には変化を感じるものだった。例によってスーパーが営業前だった頃の駅前の商店が、今回は閑散としていたのは日本もドイツも変わらぬ哀歌である。むろん1977年と比較できぬ駅前の激変である。そんな周辺の変化の中、蒸気機関車が日常的に走るのは奇跡的情景であろう。添付写真のように、現代のハイカラ(汗)な風景の背後で観光用でもない蒸気機関車が煙を上げているのは、本当に凄い事である。日常風景ゆえ、現地人は機関車に関心も示さない。

Frankfurt から Radebeul Ost まで、1977年には 夜行列車などを乗り継いで のべ約12時間かかっていたが、今回は ICE と S-Bahn で 5時間半で到着した。

1977年、2014年に撮影した Die Lösnitzgrundbahn は拙HP の 『ドイツ語圏(鉄道)』 に UP 済。今回は滞在時間が僅か3時間なので、Radebeul Ost 駅の近くで撮影した。


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