日本! (南北朝)
No.3 南朝(尹良親王、良王親王、崎之宮親王)

【 尹良親王 】

ゆきよししんのう/これなが―/ただなが―、
正平19年(1364年) - 応永31年8月15日(1424年9月7日)

尹良親王は吉野朝(南朝)後醍醐天皇の皇子宗良親王の第二皇子。
御生母は香坂高宗の娘とされるが皇統譜にその名著われず、伝説の親王(実在したか)と言われている。
父の宗良親王は、延元(1337)の頃より南朝の征東将軍として三遠信をはじめ各地の北朝軍と戦うも戦況利有らず、正平年間(1346〜1369)信濃國伊那郡大鹿村、香坂高宗の館に身を潜め、暫く時期を伺った。
尹良親王は、この間父親王と行動を共にしながらも数次に亘り、上野國新田荘に赴き南朝勢力の拡大を図り、上野宮と称した。また、天授元年(1375)寺尾城主である新田一族の世良田政義の女を容れ一子 良王を儲ける。
その頃、川宇連の地は、足助荘奥郷と称し南朝の味方であり、尹良親王は、この里に駒を進め数日逗留し馬酔木峠を越えて行った。鼓が滝で汗を流し、蘇枋の箸が根付いて「はなの木」になった等、古くから言い伝えられています。
豊根における伝承では親王は晩年、健康が勝れず偉業半ばにして応永(1396)のはじめに薨去されたという。ただし「浪合記」などでは応永31(1424)年に浪合で合戦後に自刃している。


■ 愛知県・豊根村

上写真2枚;川宇連神社
(愛知県北設楽郡豊根村坂宇場御所平)
旧名は 尹良神社という。 親王が御祭神で、社前に巨大な親王像が立っている 。案内看板の御神徳のによると、縁結びとのこと。尹良親王 が 縁結びの神 とは! 親王も草葉の陰で苦笑されてることだろう。 参拝する民に、御利益がありますよ〜に。


■ 長野県・阿智村

上写真3枚;浪合神社
(長野県下伊那郡阿智村浪合)
応永31(1424)年に浪合の地(長野県下伊那郡阿智村浪合)で賊に襲われて自刃された 、後醍醐天皇の皇孫である尹良親王を主祭神として祀る神社で、御陵も鎮座している。【浪合記(日大図書館所蔵版より 安井久善編)】には、尹良親王 最期の日の事が生々しく描写されている、、、
「大野村ヨリ雨夥ク振テ道路大河ノ如シ。未刻ヨリ雨風尚烈ク十方暗闇ノ如シ。野伏又俄ニ起テ駒場小二郎、飯田太郎ト名乗テ尹良親王ヲ襲奉ル。(中略) 味方天難逃レカタク衰運此ニ極リテ(中略) 信濃国大河原二於テ尹良親王御生害アリ宮ノ御腹召シテ処ヲ所ノ人宮原ト云。」

神社は 延宝年間(1673年 - 1681年)に造営されたと伝わる。尹良親王が自刃されたのは 応永31(1424)年と云うから、戦死から祭神に祀り上げられて神となるまで、250年ほどの時間が経過していることになる。もし浪合の民が尹良親王の戦死後すぐに神として祀るなら、時間の経過は数年でも おかしくは無い。
逆に戦死後 250年も経過後に神として祀り上げた、その理由が意味深だろう。
理由は2つ、考えられる。
まづ、 尹良親王 は、祟り神、怨霊となったのが理由の1つ目。
山間の集落を禍が襲った。大雨の山崩れ、逆に旱魃による不作、そして疫病、、、。毎年のようにこの集落を襲う魔障に、これは 尹良親王 の祟りだ、との噂が立ち、親王を神として鎮魂することとなった。つまり 御霊信仰である。御霊信仰の筆頭は、なんと云っても 菅原道真公であるが、道真公が死去されたのは西暦903年であり、神として北野天満宮に祀られたのが947年であるから、神になるまで41年間、平安京の人々は 道真公の怨霊に脅えていたのだ。
このように、怨霊に脅えた民が、特定の人物の祟りを恐れて災害と結び付けて神に祀り上げるには、死去から一定のタイムラグが存在するのだ。
尹良親王の子の良王親王は尾張へ行き、津島天王社の神職となった。現・津島神社は祟り神である 牛頭天王を祀る、本家だ。牛頭天王は、疫病をコントロールする呪力を持つ奇神である。
なにやら 浪合神社(尹良親王)と津島天王社(牛頭天王)を結ぶラインが見えてきた気がする。(冗談だが、、、親王だからって、この場合は天皇ではなく天王だ)浪合の民が 尹良親王の怨霊に脅えて神社を創建したとしても、尹良親王が実在したかは別問題である。室町時代中期に浪合近郊で起こった何かの諍いが、話が伝わるうちに250年後に 尹良親王という後南朝の皇胤の話になっていても不思議でない。その浪合における 尹良親王と従う新田一族が 賊と合戦した様子、そして 良王親王の話が書かれた【浪合記】は、江戸時代に書かれた偽史である可能性も有る。
正史ではなく創作された歴史の1ページだとしても、何故、そのような 偽史が書かれたかが、重要にも思える。それは歴史学ではなく、民俗学的に であるが。
あるいは江戸時代における浪合神社の創建と【浪合記】の誕生は、怨霊鎮撫の呪術的手段だったのかもしれない。であれば【浪合記】は軍記物ではなく、怨霊鎮魂記ということになる。
全く私見の想像にすぎないが。2つ目の理由は、創建時代が江戸時代であるから、新田氏の子孫を自称する徳川氏の政治的理由が考えられる。

上写真;新田一族陪臣の墓
浪合の地(長野県下伊那郡阿智村浪合)で賊に襲われて自刃された 後醍醐天皇の皇孫である尹良親王と共に戦い、そして討死された武士の塚である。 現地では 陪塚 と呼んでいるが【浪合記】では、「亦其時討死セシ人々ノ屍骸ヲ埋テ一堆ノ塚トス。是ヲ千人塚ト云也。」と記されている。
写真の塚の石塔は、二基。 左は「依正院殿」 と読める。同じく【浪合記】をみると、依正院義伝道伴大居士 という法名の武士が居て、浪合で戦死した 新田一族の 世良田義秋の事だと分かる。ただし石塔は 円頭角柱型 であり、江戸時代の様式と思われる。恐らく 尹良親王を御祭神とした浪合神社の創建、怨霊祓攘が目的の鎮魂記【浪合記】の成立と同時期に建立された 供養塔だと思われる。では右側の自然石の石塔は? 念墓 と読めるが、詳細は不明。念仏供養塔なのだろうか。


■ 岐阜県中津川市・恵那市

上写真;南朝神社
(岐阜県中津川市蛭川字今洞)

尹良親王は浪合で自刃されることなく、この地に落ちて来て再起を図ったという説が有る。
中津川市蛭川字今洞に、その名も ズバリ!南朝神社 が鎮座している。
御祭神の明記は無かったが、周辺における尹良親王伝説を思えば、御祭神は親王の可能性が高い。
とは云え、やはり御霊信仰の神社であろう。

上写真;松王寺(寺屋敷)跡
(岐阜県恵那市笠置町姫栗)
岐阜県中津川市と恵那市にまたがる 笠置山は 中央道・恵那ICの北西にある標高1128mの山で、この南部の中腹に 尹良親王 や重臣の武士が浪合合戦から脱出し、隠れていたという松王寺(寺屋敷)跡が有る。しかし潜伏20年、やがて足利逆賊に包囲されて従う武士も討ち死にし親王も自刃されたという。松王寺跡には、御墓という五輪塔が立っている。
説明看板によると、、、「 岩窟があり清水が流れ 広さもあり 隠れ場所として最適であったかもしれない。」、、、と記されていた。炭の灰も有るという。自然石が重なるように存在し、窟口が開口していたので内部を覗いてみたら、確かに岩の間から清水が流れていた。しかし内部の広さは一人が腰をかがめて入るのがやっとの空間だ。
伝承の様に武士が何十人も入るのはいかに密にしても無理だ。
寺院が存在していた頃、この清水の湧き出る空間は単に水を汲むだけでなく、祈祷の場だったかもしれない。
しかし元は、更に時代が古い 古代祭祀遺跡(イワクラ)だった可能性も有る。
イワクラの後に、仏教寺院が上書きされたのではなかろうか。
そこにいつの間にか 尹良親王の伝承も上書きされたということだろう。 
浪合の項にも書いたが、尹良親王が怨霊となり地域に天災や疫病といった禍を起こす障魔、怨霊と習合していたとしたら、この岩窟の灰は この内部で火を焚き祓攘の祈祷が行われていた痕跡の可能性もあろう。 想像は膨らむ、、、。


【 尹良親王、良王親王 】

■ 愛知県津島市

尹良親王は 応永31(1424)年8月15日、信州の大河原(浪合)で駒場小治郎・飯田太郎らに襲撃され、自刃した。
この合戦の前に 尹良親王は御子の 良王君を下野に派遣しており無事であった。良王親王は、父君である 尹良親王 と 新田一族の世良田右馬助政義の娘との間に応永29(1422)年に生まれた(1414年生まれの説も有り)。
浪合合戦の時は まだ2歳(または10歳)であったから、下野へは御旗として新田一族に奉じられて派遣されたのであろう。
1428年、良王君は在地していた上野から信州に向かい、途中の各所で北朝方の襲撃を受けた。
そこで 従っていた新田一族の世良田、桃井の両氏と、同じく従っていた津島四家七名字と云われる武士団のうち、大橋定省を頼って津島へ移ることとした。
津島に着いた 良王君は、父君のである尹良親王の慰霊の大龍寺を建立するだけでなく、津島では津島神社の神主ともなって、父君を神に祀り上げた。

上2枚;津島神社(津島市神明町)

上写真;
大龍寺(津島市北町)で、この寺は 良王親王が父・尹良親王を弔うために建立したという、尹良親王菩提寺である。添付写真下は 尹良親王の御位牌で、「大龍寺殿征夷大将軍二品尹良親王 尊儀」 とある( 許可を得て撮影 )。

上左写真;良王神社(津島市米之座町)
上右写真;良王親王家族らの石塔(瑞泉寺;津島市舟戸町)

1435年、信州 大河原(浪合)を経て 良王親王(後醍醐天皇の曾孫)は津島の四家七党を従え、津島の大橋定省の奴野城に到着した (【浪合記】による)。
奴野城跡は現在の西方寺(津島市天王通り)と伝わるが、そこから数百メーターの津島市米之座町に、「良王親王伝説地」なる場所がある。熊野社なのだが、神社名は親王所縁の地ということで、良王神社 と称している。
再三記しているように、後南朝の時代の良王親王は実在が疑問視されている、南朝皇胤である。
神社の撮影をしていたら 近所の人がステテコ姿のまま「いい写真が撮れましたか?

ここは由緒ある場所でね、親王が遊んだ場所だよ。」と声を掛けて下さった。
遊んだっ?! うむ〜〜〜、、、

添付写真右は 津島市舟戸町の 瑞泉寺で、良王親王の菩提寺である。
寺の墓地には 親王とその家族の宝篋印塔が六基 安座している。
前から3列目右側の少し背の高い石塔が、良王親王の宝篋印塔という。
親王は永享7(1435)年に津島の奴野城(現・西方寺に入御され、明応元年(1492)年に78歳で亡くなったという。その間、津島天王社(津島神社)の神職になったという説も有るが、定かで無い。むろん存在が偽史の可能性もあるから。

上写真右側の 瑞泉寺には正史か偽史か定かで無いにしても、良王親王とその家族のものと伝わる宝篋印塔は 隅飾突起の形状など見ると、確かに良王親王が没した頃の作風に一致する、室町時代的な姿である。
良王親王の存在が記された軍記物では【浪合記】が筆頭書籍であるが、江戸時代に書かれた偽書との噂も存在する書物である。この宝篋印塔は江戸時代に【浪合記】の内容を元に、墓地に存在した無銘の室町様式の宝篋印塔を親王の墓と比定したのだろうか?
事実、室町時代の中期に後南朝の皇胤が津島に居たのであれば、【浪合記】以外に津島に資料が残っていないといけない。しかし津島市を探訪した限り、【浪合記】を元にしており、フィクションとノンフィクションの狭間に存在するという疑問は解けなかった。
なお、この瑞泉寺は幼稚園を併設している関係からか、門扉が施錠されている。
インターフォンを押して要件を話すと関係者の方が開扉して、墓地まで案内して下さる。
それはありがたいのだが、宝篋印塔の銘を探るような疑いの目は失礼で、出来なかった。


【尹良親王、崎之宮親王 】

■ 愛知県岡崎市

上写真2枚;南朝若宮社(愛知県岡崎市中伊町)
後醍醐天皇の曾孫である 崎之宮親王 を 御祭神とする南朝若宮社について。

神社に掲示された由来を 下記に添付
     ↓

後醍醐天皇の皇孫・尹良親王、島崎の城の御出発あり。
三河国・足助重春が城へ移らせ給はんとして信濃国・波合にて死し給う。王子・崎之宮親王、御幼稚に在しまし乳母・智典姫、及、臣下2人等と共に難を三河国に避け給ひ中保久村字根村に隠し給いす。当所居住・荻埜伊右衛門(東加茂郡東大沼村・荻埜長三郎の祖先となりと伝ふ)従者として当所に到れり。親王は瘧を病み給ひ、秋8月彼岸の中日死し給へり。其時、乳母は下山へ水汲に行き、川端にて親王死し給ふと伝ふ聲を聞き驚愕気絶し、其儘歿せり。親王の尊骸を山上に奉葬し、後、祠を建て祀る。即ち当社なり。乳母は川端に葬れり、之を乳母塚と伝ふ。世人、当社の森を称して乳兒(児)の森と伝ふ。

崎之宮親王は幻の親王である。というか、崎之宮親王の父、すなわち後醍醐天皇の孫である尹良親王自体も、史的に実存したか怪しいのだ。
つまりフィクションのフィクションという可能性も無きにしも非ずという親王なのだ。
であるなら、その幻の存在が生み出された背景こそ興味深い処である。史学的というより、民俗的な親王と言えようか。
若宮社の拝殿を拝むと、背後の 塚を拝むことになる。
塚は崎之宮親王の墳墓と伝わる。
何らかの民俗的な事情で、この塚が崎之宮親王の墳墓である、という奇譚に置き換わり、実は全く関係無かったという可能性も有ろう。
神社の創建時期は不明であるが、元々存在した塚に隣接して拝殿を後に建てたのは明らかと思われる。
崎之宮親王の父である尹良親王が戦死したのは信州の浪合邑と伝わるが、その地方から三遠南信にかけては尹良様(ユキヨシサマ)と称する土着の民俗信仰が存在するらしい (三遠南信への訪問は多いが、ユキヨシサマは 守備範囲外だったため、自分的には未確認)。 
どうやら土着の塞ノ神と御霊信仰などが習合したような信仰らしいが、その神だけの神社は無いらしいという、これまた不思議な民俗宗教である。過酷な山間での生活や生産の辛苦、災害が御霊信仰となった場合、この南朝若宮社の地域では ユキヨシサマの傍流として、尹良親王の子が御霊信仰として崎之宮親王を生み出し、信仰されたのかもしれない。
塚は、そのためのシンボライズされた石塔であるのかもしれないが、想像の域を出ない。
※ そもそも 後南朝が抹殺された後に、南朝の親王を祀ることが可能だったのか、という疑問アリだが。 御霊信仰としてだから、北朝の世にも許されたのか。


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